浄土真宗本願寺派 教念寺
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仏教コラム
 第62話 畏怖の念


 東北地方を震源とする大地震、大津波により多くの方々が被災され、今も避難を余議なくされています。 首都圏に住む私たちは大きな揺れによる不安はありましたが、一部を除いて甚大な被害は免れました。

 さて、親鸞聖人ご幼少の時代にも大きな地震がありました。
 1185年に起こった文治京都地震は京都の町や寺院に甚大な被害をもたらしています。この年は壇ノ浦の戦で平家が滅亡するという歴史上でも特筆すべき年でした。親鸞聖人12歳の年に当たりますから、出家後、京都市中もしくは比叡山で難に遭われたのではないでしょうか。聖人には特有の無常感を感じますが、少なからず、この大地震の影響もあるかもしれません。

 昔の人々はこのような自然災害をどのように受けとめたのでしょうか。
  仏教では地、水、火、風を「四大」と呼び、この娑婆世界を構成する根源的な事象とされます。それらは少し偏ると人間には手の付けようのない大きな力となります。地は地震、水は大雨や津波、火は大火、風は台風や竜巻という具合です。その前にいる人間はただ無力です。そして人は、それはどうしてこのような災いが起こるのかをいつも考えていたことでしょう。大きな力への畏怖の念が消えることはなかったはずです。

 この度、私たちが遭遇した災害は「未曾有」という言葉が誇大ではない惨状であり、千年に一度の災害でありましょう。しかし、同時に資源も食べ物もそして人までも使い捨てている今の私たちの暮らしに対する警鐘と受け取ることもできるのです。

 被災された多くの方々の安息を願いながら、足もとを見つめてみたいと思います。