浄土真宗本願寺派 教念寺
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仏教コラム
 第65話 宗名のご苦労

 親鸞聖人が著された『高僧和讃』に 

     智慧光のちからより
     本師源空あらはれて
     浄土真宗をひらきつつ
     選択本願のべたまふ

 という一首があります。
(阿弥陀如来の大きな智慧のはたらきの中から、まことの先生である源空上人(法然上人)が現れてくださって、浄土を勧める真実の教えを開いてくださり、ただ本願一つを聞いてゆくことを教えてくださいました)という意味ですが、この一首が「浄土真宗」という宗名に長い関わりを持ったことを知る人は少ないかもしれません。
 そもそも親鸞聖人は「浄土真宗」という語を宗旨の名ではなく、「法然上人から伝えられた真実の教え」として表現していました。 その後、聖人が亡くなれた後に教団として発展していく中で「浄土真宗」が宗旨の名前として用いられるようになりました。しかし、様々な理由で正式に宗旨名を名乗ることが許されない時代が続きました。
 江戸時代に入り、東西本願寺並びに仏光寺派、高田派などが幕府に対して「浄土真宗」を公式名称とするよう求めた意見書を提出しました。寺社奉行は早速、徳川家の菩提寺である寛永寺(天台宗)と増上寺(浄土宗)に対して見解を求めました。これに対して増上寺は浄土宗の立場を「法然直系である浄土宗こそが「真の浄土宗」であり、異端である一向宗が「真」の字を用いる事をむしろ禁じるべきである」と主張しました。
 さらに、その論拠が冒頭の和讃です。「法然上人が浄土真宗を開いた、と親鸞自身が示している」という主張です。親鸞聖人の本意を無視した解釈に驚かされます。
  その後、論争の終結のために寛永寺が仲裁案を出しましたが、何と「三万日」の寛永寺預かりというものでした。「三万日」というと八十年以上の時間です。 時は流れて、明治五年にこの問題が再燃しています。政府は「浄土真宗」は認められないが、略称である「真宗」であれば使用してもよい、という裁定が下され、以後、真宗各派は「真宗○○派」と公称することができるようになりました。
 さらに、第二次世界大戦後に国家の宗教統制が解除されて、わが宗派は「浄土真宗 本願寺派」という宗名に落着きました。
 長大な来歴には驚くご苦労があったのです。