浄土真宗本願寺派 教念寺
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仏教コラム
 第66話 持ち時間

 先日、ある方に質問してみました。

「プロの将棋にはなぜ、制限時間があるのですか?」
「そりゃ、無かったら終わりませんよ」
「あー、そういうものですか」

 将棋の対局には「持ち時間」という制限時間が設けられているそうです。にも関わらず、棋士たちは中々指そうとはしません。しかし、ただぼーっとしているわけではありません。あらゆる事態を想定して、思案に次ぐ思案の連続なのです。
 やがて、持ち時間を使い切ると1分以内に指さなくていけなくなります。時間が過ぎると、それまでの優劣に関わらず負けてしまいます。時間を読み上げる人の声に緊張が走ります。見ているこちらもハラハラします。勝負の世界には常人には越えることのできない境地があることを知らされます。

 さて、日頃はゆったり、のんびり過ごすことがこの上なく贅沢で優雅な時間であると思ってしまうことがあります。
 しかし、病気になると病気という「相手」と自分に残された「時間」が気になります。どのくらい経てば快方に向かうか、という「時間」と、ひょっとしたら人生の終焉を迎えるかもしれないという「時間」です。見舞客が「ゆっくり静養してください」と声をかけてくれても、当人はゆっくりできないのです。将棋の対局で「○秒」と読み上げらている気分に似ているかもしれません。
 私自身は幸いな事にまだ、大きな病を患ったことがありません。ですから、大病をされて復帰された方の言葉に大変興味があります。「病の中で何をどう考えたのだろう」という事を聞いてみたくなります。  そして、元気になられた時、いよいよ思案の結果が試される時が訪れるのではないでしょうか。
 誰もが「持ち時間」の中で生きているからこそ、勝敗を越えた棋譜を残したいものです。