浄土真宗本願寺派 教念寺
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仏教コラム
 第86話 救いのゲート

 先日、高速道路で出かけた時のことです。いつものように料金所のETCを利用しました。
 ETCとは高速道路の通行料金を自動で計算し、後からクレジット払いするというもので、現金での支払いがないのでスムーズに利用できるというものです。
 ところがこの日は料金所を通過しようとするとゲートが開きません。見ると他の車の侵入を防ぐためにすぐさま後ろのゲートも閉まりました。不意な急停車に車内は騒然としました。(私だけしか乗っていませんでしたが)機器の誤作動ということで事なきを得て放免されました。
 しかし、もしここで押しても引いてもゲートは開かず誰も救けに来てくれなかったらどうでしょう。焦燥と不安に苛まれることは間違いありません。
 さて、そのような私が娑婆世界という高速道路を走っていて自分の目的地で足止めされないのは阿弥陀さまの救いのゲートが私のために開いていることを信じて疑わないからです。「目的地(浄土)の門はあなたのために開いて待っていますよ」の声(本願)を信じればこそ真っすぐに道を進むことができるのです。
親鸞聖人は御和讃に
 智慧の念仏うることは
 法蔵願力のなせるなり
 信心の智慧なかりせば
 いかでか涅槃をさとらまし (正像末和讃)
と示されました。
 ここに「智慧の念仏」「信心の智慧」という言葉を出され、本願をいただくことは智慧を頂戴すると示されました。
 それは「南無阿弥陀仏」という念仏が仏様の智慧を頂いていることと同じであり、さらにそれが私に届いたことを信心といいます。ですから信心が智慧であるといわれのです。
「大丈夫かな」と不安な私に「そのまま来なさい」と声をかけ、「あー大丈夫だったんだ」と歓ぶ私と「待っていますよ」という阿弥陀さまの心がひとつになること。
 私が走る先に救いのゲートが開いていることは何よりのことだったのです。