浄土真宗本願寺派 教念寺
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仏教コラム
 第89話 門徒もの知らず
 先日、「法事の日が友引にあたっていますが、大丈夫でしょうか」という仏事相談がありました。
 ご存知のように浄土真宗では「日の良し悪し」や「方角の良し悪し」は申しません。
 昔から「門徒もの知らず」と他宗の信者から批判されましたが、これは浄土真宗の信者(門徒)は阿弥陀仏以外を拝まず、土地の神仏への儀礼や風習にも従わなかったために「浄土真宗信者は仏教的常識を知らない」という意味でこのように言われました。
 元々は「門徒もの知らず、法華骨なし、禅宗銭なし、浄土情なし」と言って各宗派を揶揄する言葉が存在していたそうです。(全部、逆に置き換えるとナルホドと思えます)
 親鸞聖人は阿弥陀如来の本願に遇うことは迷信や俗信に惑わされない本当の生き方を歩むことができるとお示しくださいました。
 『歎異抄』の中に「念仏者は無碍の一道なり。そのいはれいかんとならば、信心の行者には天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたはず、諸善もおよぶことなきゆゑなり」
(阿弥陀仏に救われた人は一切がさわりとならない無碍の一道という世界に出ます。なぜならば、阿弥陀仏から救われ、真実の信心を頂いた人には、天地の神も敬って頭を下げ、魔の世界の者、真理に外れた道の者もさまたげることはできないのです。罪悪の報いも苦とはならず、どんな努力も及ばないから、一切がさわりとならない、絶対の幸福なのです)
 私たちがこのような真理の世界を生きることは、日の良し悪しや、方角の良し悪しなどに恐れる必要はありません。常に仏と共に生きる道は、毎日毎日が充足感に支えられたよい日であるはずです。
 そこには何者にも恐れる必要がなく、しかも一切の悪が善に転ぜられる不思議なはたらきが与えられていることを深く味わってまいりましょう。