浄土真宗本願寺派 教念寺
〒352-0004
埼玉県新座市大和田1−20−6
TEL:048−477−1713
FAX:048−477−0809
メールはこちら:
info@kyonenji.jp
仏教コラム
 第124話 浄土真宗と荒行
 浄土真宗に「荒行」はありません。それは私たちが進む道に合わないからです。それを示してくださったのが親鸞聖人でした。
 では、なぜ私たちの進む道に合わないのでしょう。 親鸞聖人は比叡山での修行時代に「常行三昧」という行をされたそうです。常行三昧堂という真四角なお堂の中心に阿弥陀さまがご安置されていて、そのまわりを九十日の間、不眠、不臥でただひたすらお念仏を称えて歩くのです。三度の食事も立ったまま、横になって休むことが許されない行です。私が行えば、九十日どころか一日ももたないと思います。それは、身体的、体力的なことではすぐ限界が来てしまうということです。
 しかし、行を進めていくうちに歩行と念仏のバランスが生まれ、やがて身体的苦痛を感じなくなる、と聞いたことがあります。日常では感じ得ない境地に身を置くのでしょうか。
 ところが、行を修めても清浄なる心が得られないことに親鸞聖人は苦悩されました。それほどまでに私たちのこころは常に煩悩に支配されていることに引き戻されるのです。
 今日でも行われている比叡山の千日回峰行が実は九七五日をもって満行となることをご存知の方は少ないと思います。千日を満行するために行ってきた修行が千日を迎えることなく終わるのはどうしてなのでしょう。それは、千日の行を修めると「自分は人が出来ない荒行を完遂したのだ」という慢心を持たないためだと言われています。
 親鸞聖人が悩まれた煩悩の中にはこの慢心も含まれています。
 その迷いの中に身を置いている私たちに用意されていた救いの手立てが念仏であったことに気付かれ、そして慶ばれたのが親鸞聖人であったのです。
 他力の救いの道を歩む私たちは常に「自力のはからい」とともに歩む道でもあったのでした。