浄土真宗本願寺派 教念寺
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仏教コラム
 第127話 よき人はどこに
 世の中の人々は様々な個性を持ち、人間性も価値観もそれぞれです。それをどのように生かしたり、伸ばしたりすることができるかは「よき人」との出会いによるところが大きいのではないでしょうか。
 さて、『蓮如上人御一代記聞書』に
 たとえ事実でないことであっても、人が注意してくれたときは、とりあえず受け入れるのがよい。その場で反論すると、その人は二度と注意してくれなくなる。
 人が注意してくれることは、どんなことでも心に深くとどめるようにしなければならない。
 このことについて、こんな話しがある。
 二人のものが、お互いに悪い点を注意しあおうと約束した。そこで、一人が相手の悪い行いを注意したところ、相手のものは、「わたしはそうは思わないが、人が悪いというのだからそうなのでしょう」といいわけをした。
 こうした返答の仕方が悪いというのである。事実でなくても、とりあえず「たしかにそうだ」と返事をしておくのがよいのである。
(たとひなきことなりとも、人申し候はば、当座領掌すべし。当座に詞を返せば、ふたたびいはざるなり。人のいふことをばただふかく用心すべきなり。これにつきてある人、あひたがひにあしきことを申すべしと、契約候ひしところに、すなはち一人のあしきさまなること申しければ、われはさやうに存ぜざれども、人の申すあひださやうに候ふと申す。さればこの返答あしきとのことに候ふ。さなきことなりとも、当座はさぞと申すべきことなり。)
   『御一代記聞書』120
と、示されています。
 この言葉の対極にいる自分が恥ずかしい限りではありますが、耳の痛いはなしを聞いた自分が最後に「仏法」の場に身を置くのか、「自分」に執着して生きるのか、大きな違いがあります。つまり「わが身の置きどころ」は仏縁をよろこぶ身にさせていただかなければ安泰とはならないのです。
「よき人」はあなたの近くにもいるのです。