浄土真宗本願寺派 教念寺
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仏教コラム
 第131話 悲しみの向こうへ
 五十年前の日本女性の平均寿命はおよそ七十四歳でした。今日では八十六歳を超えています。これは著しい変化であり、世界で一番の数字です。世界に冠たる長寿長命の国になったのです。
 しかし、長く齢を得るということは同時に経験したことのない「老い」とともに生きることにもなりました。自分の意思で生活することが困難である「認知症」であったり、老いた者が介護しなければならない「老老介護」など、高齢であるがゆえに直面する事柄がたくさんあります。
 中でも年老いてわが子を先に見送らなければならないという縁は、これまで経験した中で一番辛いことだ、と何度も耳にしました。「できれば、私が代わってあげたかった」という悲痛の声は親以外には発することのできない言葉です。
 この世は生者必滅のことわりの中にあるといっても悲し過ぎる出来事です。長く生きるということは、それまでに得たものと離れていくことを知らされることでもあったのです。
 さて、この悲しみに出遭った私にできることは何でしょう。「毎日、欠かさずお仏壇にお参りする」「命日にはお墓にお参りする」「亡きひとの形見や思い出にこころを寄せ続ける」すべて尊い行いです。でも、これは仏縁のスタートラインです。亡くなられた方が救われて生まれた浄土はどこなのでしょう。その救いをしてくださった阿弥陀如来とはだれなのでしょうか。知らないことがたくさんあります。
 たとえわが子を見送るご縁であったとしても、私に大切なことを教えてくれたという思いで手が合わさり、念仏申すことができた時、悲しみの向こうに歩み出すことができるのです。

 弥陀大悲の誓願を
 ふかく信ぜんひとはみな
 ねてもさめてもへだてなく
 南無阿弥陀仏をとなふべし
        (正像末和讃)