浄土真宗本願寺派 教念寺
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仏教コラム
 第133話 私を考える道
 先般、あるお寺(浄土真宗本願寺派)のホームページ内に教念寺ホームページに掲載している記事がそっくりそのまま転載されていることが判明しました。ホームページの記事と言えども著作権侵害となりますので、早速連絡して即刻削除を求めました。結果的には時間は要しましたが、その盗用記事は削除されました。しかし、その後詫び状のひとつもないことにひどくがっかりしました。このような事態になっても同じおみのりを広めていく者同士であると思っておりましたが、相手はただのクレームとしか感じていなかったのかもしれません。
 さて覚如上人の『改邪鈔(がいじゃしょう)』には「わが同行人の同行と簡別して、これを相論する、いはれなき事」と示されています。同じお念仏をよろこぶお同行が他の方とお念仏の道を歩むことになっても、その人の往生の是非などを争ってはならない、と戒めています。
 親鸞聖人のお弟子の中に常陸の信楽房(しんぎょうぼう)という人がいました。熱心にお念仏されましたが親鸞聖人の教えに異義をとなえて門弟を離れることになりました。
 その際に、お弟子の中の連位房が、「信楽房にさずけられているご本尊やお聖教を取り返すべきではありませんか」と聖人に進言しました。当時は破門した弟子に対して与えられたご本尊やお聖教を取り返すことが常識であったようです。
 ところが親鸞聖人は「そのようなことは決してしてはならない。それは、親鸞はわが弟子というようなものは、一人ももっていないからである。
 元々ご本尊やお聖教は、如来が衆生利益のためにお恵みくださったものであるから、たとえ(信楽房が)山野に捨ててしまうようなことがあったとしても、お聖教にふれたものは仏縁をむすんでくださるにちがいない」と申されたそうです。
 すべてが如来からたまわったものとして歓んでいくことは即ち「私」を排除していく道でもあるのです。「私の」とか「私のお寺の」とこだわっていく姿は娑婆世界で迷いの中にある私の姿そのものです。親鸞聖人のお言葉を受けとめ歓ばせていただくことは私自身を考える道であったのです。