浄土真宗本願寺派 教念寺
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仏教コラム
 第135話 不思議をよろこぶ
 将棋界の数々の最年少記録を塗り替えている藤井聡太さんが先日のトーナメントで見事優勝を飾り六段に昇格しました。五段在位わずか16日間という快挙です。圧巻は羽生善治永世七冠に鮮やかに勝利したことでしょう。
 将棋の奥深さは毎回が同じ手にならない多様性にあるといいますが、プロの目からしか見えない勝利への様々な姿が見えてくるのだろうと思います。
 しかし、さきの藤井、羽生の一戦は周囲のプロの目からもその展開がわからず、次元の違う戦いであった、といわれています。きっと彼らにしか見えない勝利への道程の攻防は不思議な世界だったのかもしれません。
 以前、仏師さんから聞いた話しを思い出しました。「仏像を彫刻するということは、木の中に埋もれている仏さま以外のものを取り除いているのです」と伺ったことがあります。どのような姿で彫ったり刻んだりするかが、仏師の腕のみせどころだと思っていましたが、突き詰めていくと仏さまがお出ましになるお手伝いをしている、ということになるのだそうです。私たちからは不思議なことですが熟達した人からはそのように見えるのです。
 さて、親鸞聖人はご和讃の中で、「不思議」を示されたものが多くあります。阿弥陀如来の救いのお力は私たちの考えの及ばないこととして「仏智不思議」を出されています。実は親鸞聖人には見ることができていて、聖人自身は「不思議」を理解されていたのではないでしょうか。しかし、それは他のものには理解できないので、あえて「不思議」と著されたのではないかと勝手な想像を廻らせています。
 親鸞聖人という方が「不思議」を最もよろこばれた方であったことを私たちもよろこばせていただきたいと思います。

 不思議の仏智を信ずるを 報土の因としたまへり
 信心の正因うることは かたきがなかになほかたし 「正像末和讃」