浄土真宗本願寺派 教念寺
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仏教コラム
 第138話 人が人によって
 先日、京都の本願寺派のご住職から「京都は布教使が育たん場所なんですわ」というお話を伺いました。「どうしてですか」と聞くと、「京都はね、大学がたくさんあるから先生が大勢いるでしょ。だから、すぐに来てもらえるから、住職も勉強したり実践しなくなるんですよ」と仰っておられました。ある面うらやましいことですが、なるほど、そうなのかもしれません。
 東京には長らく男子が学ぶ宗門の大学がありませんでした。(最近になって武蔵野大学が共学となりました)
 しかし、120年あまり前の明治34年に東京に浄土真宗の大学があったのです。大谷大学の前身である真宗大学が開学しました。その歴史が10年で幕を閉じ、京都へ移ることとなったのは大変残念でした。
 初代学長は清沢満之という碩学がつとめました。清沢師のもとに多くの若者が集い、真宗の学びを深めていきました。あのまま、東京に浄土真宗を学ぶ大学があったら多くの人材を輩出したことだろうと思います。
 「学ぶ」とはどういうことなのでしょうか。知識や教養を蓄積するだけでしたら学校は不要です。今の時代ですからインターネットを活用することもできるでしょう。ひとりでも出来ることです。
 しかし、学校は知識や教養を蓄積するだけの装置ではありません。人が人によって学ぶ意義やその広がりに喜びを見出していく場所、といったらカッコ良すぎるでしょうか。仏教を学ぶ学校では特にそのようにあって欲しいと思います。
 長らくお世話になった先生の本を久しぶりに手にすると、在りし日の講義の声が聞こえてくるように思えることがあります。
 「お説教だけ上手な人は真の布教使ではありません。みなさんは布教するその人の言葉を聞きたいのです」布教使の大先輩のことばです。
 自らを照らしてみることがたくさんありそうです。