浄土真宗本願寺派 教念寺
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仏教コラム
 第143話 尊い扉
 最近、長生きがよく話題になります。「百歳時代到来」などと言われると「まだまだ色々やれそうだ」と少し嬉しくなったりします。
 しかし、「それはそれで結構大変だな」とも思います。それは家族も健康も時代背景も今のままではない、ということだからです。「病気になって動けなくなったら」「その時、身のまわりをみてくれる家族はいるのか」など、不安は増大するばかりです。
 さて、最愛のご家族が病気になり入院することになりますと、その病状が気になります。どういう治療がよいのか、薬の副作用はないのかなど不安は尽きないものです。お医者さんの説明も以前より詳しくなりました。インフォームドコンセントと言われ、医師や患者、患者の家族が適正な治療を行うための意思を統一していくということが一般化しています。
 このようにして、患者本人だけではなく家族も病気を共有して闘病しているのです。
 しかし、その甲斐なく、お亡くなりになる方もあります。娑婆の縁もいつかは尽きることを知らされるわけです。そして、いよいよお浄土に生まれることとなります。そのことこそが大切なことなのです。
 けれども、あれほど大切にしていた家族が、本当に浄土に往生したのでしょうか、と問われたことはほとんどありません。
 亡くなった後はお坊さんに任せてあるので詳細はよく解りません、では困ります。大切な家族が亡くなって、その人が今どこに居るのか、どのような理由で浄土という場所に生まれることになったのか。そして、今生きている私はどうなるのか、を顕かにしなければなりません。
 そのことを顕かにすることは、家族を見送った者の責務なのではないでしょうか。
 最も悲しい別れの時から仏法を聴聞するという尊い扉が開かれるのです。