浄土真宗本願寺派 教念寺
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  第87話 小さないのちの行方

 友人がショックだったと話してくれた。近くの土手を散歩していたら、ガリガリにやせた成猫が捨てられていたそうだ。子猫ならわかるが、なんで成猫なんだろうと思っていたら、その猫の様子を見に来たというご婦人に逢った。
 その人の話だと、この猫は、病気になったから飼い主に捨てられたのだろう。私の家には、この猫と同じ境遇の猫が沢山いて、自分の子供も受験生であるし、もうこれ以上猫を増やせないのだ。でも、心配で様子を見にきているが、もう亡くなるのも時間の問題かもしれない、との事だったそうだ。

 いのちあるものを、壊れたおもちゃみたいに捨てるなんて、具合が悪いからこそ面倒みてやらないといけないのに、最期を看取ってやらないといけないのに、と、とてもショックを受けていた。
 飼い主には、病猫をみられない、何か特別な理由があったかもしれない。
 考えようによれば、一緒に暮らしたペットの最期を看ることができるのは、とても幸せな事なのかもしれない、と思った。

 数年前、迷い込んできて飼い主がわからずじまいの老犬の、最期を家族全員で看取った別の友人の事が、パッと思い浮かんだ。その老犬は、家族でない私にも老いや介護や死ぬる事を、教えに来てくれた使者であった。友人の家族が、いのちあるものに対して愛情を注ぐ姿は、とても尊いものであった。その老犬が亡くなってから、その家族は今また、歳をとって飼い犬の世話ができなくなった方の犬を引き取って面倒をみている。実はそのわんちゃんにも、先天性の疾患があるらしいのだが。
 悲しんでいる友人に、その話をした。そして、土手の猫ちゃんも、次に人間に生まれてこれるといいね。そうしたら、仏さまのお話を聞くことができるからね。と言った。他に、どう言ったらいいかわからなかったから。
 そう言いながら、私自身が今、生かされている事、人間として生まれて来れた事が、なんだかとても不思議な不思議な気がしてしまった。
 外は静かに雨が降っていた。