浄土真宗本願寺派 教念寺
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  第120話 受信機

 五木寛之さんの『親鸞』の連載が始まった時、それまで慣れ親しんだ新聞から東京新聞に変えました。
 連載が終わっても、地元情報満載(我が家は埼玉ですが、県境ゆえ、生活圏は東京になります)で、楽しい紙面なので、元の新聞には戻していません。
 ただ、子どもの頃から好きだった新聞の毎日のコラムだけは読みたくて、インターネットで読み出しました。
 すると、気付かぬうちに、他の記事もネットで読むようになりました。
 最近、新聞をとらない家が増えてきたというのが、なんだかよくわかるようになりました。
 それでもまだ、我が家は古新聞としての新聞の出番が多い方だとは思うのですが。
 さて、ニュースに限らず、パソコンや携帯は、便利なツールとなりました。
 メールよりも簡単なメッセージなどもできます。
 これもよく、話題になりますね。イジメがあるとか、詐欺があるとか、少し前には某議員さんが中学生相手に大人気ないやりとりがありました。
 連絡を取り合うのには大変便利ですが、それはあくまでも事務的な便利グッズのひとつと考えています。
 単語を並べているだけで会話が成立する仕組みですから、日本語のできないドイツ人と、ドイツ語ができない日本人が、英語で話してる感じがします。
 ただ、子どもたち世代だけでなく、大人もまた、これらの便利グッズを手放せなくなって、上手く使うというより、使われてしまっている気がするのです。
 そう思ってから、ネットのニュースも、好きだった新聞のコラムのページだけを出す設定にしたり、無駄な抵抗をしています。
 なぜなら、ものすごい量の情報が飛び込んで来るので、本当に大切な情報、必要な情報が、わからなくなってしまうからなのです。
 意識的にパソコンや携帯をオフにしていて思うのです。
 阿弥陀さまから発信されている呼び声を、受信する側の私はどうなんでしょうか。
 ちゃんと受信機の電源入れてますか?電池切れになってませんか?まして、意識的に受信しないように、なぁんてしたりしてませんか?