浄土真宗本願寺派 教念寺
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  第160話 苺を分ける時

 苺を頂いたよ、と、四男に出すと、ニヤリとして「昔はさ、みんなで分けたよね」と言いました。
 そう、四兄弟が揃っていた頃は、八つの厳しい目が、平等の数に分けているかをチェックしていました。私の分は大体少なめ。
「で、俺はさ、いつもお袋の分も何個か食べちゃう」
 そう、末っ子の特権。
 ある時長男が、同じ数に分けるのはおかしい、と言いました。苺も体重に比例させて出すのが本当の平等ではないか、と。次男がそれに賛同して、三男は、長男の時には独り占め、次男が生まれたら半分こ、自分が生まれたら三等分で今は四等分なんだから自分が一番損をしている、と言い出しました。(注・三男が生まれてからは二パックとなったんですが)
 苺と言う字は、お母さんがお花の冠を被ると書きますから、子どもが大好きなのでしょう。
 そして、苺を分ける時にいつも思い出すお話がありました。
 ある時、マザー・テレサはお腹をすかしている、八人の子供を抱えたヒンズー教徒に、一食分のお米を持って行きました。
 するとその家のお母さんは、マザーからのお米を半分に分けて、隣に住んでいるイスラム教徒の家族に持って行きました。そこにも同じ八人の子供がいて、食べるものがなかったのです。
 お母さんにとっては、一粒でも多く我子に食べさせたい大事なお米です。それを同じ状況にある他人と分け合う喜びを、心から感じていたのでしょう。
 なんの『見返り』を期待したものではないこの行いこそ、仏教でいう『布施行』だなぁと思いました。
 私たちは、ついつい何が得で何が損かとか、見返りや結果ばかりを先に考え行動しています。
 そしてその為に、それがたとえ良い行いであっても、裏切られたり求められないとき、勝手に腹が立ったりガッカリしたりするのです。
 四男に、兄達と分け合っていた苺と今の苺、どちらが美味しい?と訊いてみましたら、彼はまたニヤリとして「どっちも」と言いました。
 私はマザー・テレサがお米を持って行った、あのお母さんのような事ができるかな、と目の前のキラキラした苺に問いかけてみました。よく見ると苺が一個減っていて、私も四男のようにニヤリとしました。