浄土真宗本願寺派 教念寺
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 第2回 阿弥陀さまの願い

私の願いと親の願い

  みんなは、お父さんやお母さんに願い事をすることがあるよね?「あれ買ってよ〜」「○○に連れて行ってよ〜」って。で、正月になると、神社やお寺に行って、今度は神さま仏さまへの願い事。「○○がうまくいきますように」「○○が欲しいです。ください!」ってね。でもね、実は何かを親や仏さまにお願いするっていうのは間違いなんだよ。その理由はね、みんなはすでに「親からも仏さまからも願われている存在」だからなんだ。

  「我が子に対する親の願い」って何だろうね。え?「親じゃないから分からない」って?そんなこと言ってないで、みんなのお父さんやお母さんの気持ち、想像してみてよ。きっとね、まず「幸せになってくれ」ということ。それがベースにあると思う。何よりもまずみんなに幸せになってほしいと思っている。

  親は何かとこまごま言うでしょ。みんなは「うるさい」って思っているかもしれないね。でもそれは、みんなに幸せになって欲しいから言っていることなんだ。例えば、よそのおじさんやおばさんは、そんなこと言ってくれないよね。親だから、そして幸せになってほしいから言ってくれてるわけなんだ。阿弥陀さまの願いも、この親の願いに似ているよ。ほんとうの意味で「幸せになってほしい」って願われているんだ。

幸せって何だろう

  ここで少し考えて欲しいのが、「幸せ」って何かってこと。お金がたくさんあって、広い家に住んで、あたたかい家族に囲まれて、欲しいものは何でも手に入って、病気なんてしなくって、いつまでも長生きして…普通「幸せ」っていうと、こんなことをイメージすると思う。そのために、毎日がんばって勉強して、いい学校に入って、優秀な成績をおさめて、いい会社に就職して…と、毎日毎日みんなもがんばってるわけだね。でも、それって本当に幸せなのかな。自分の思い通りになることが幸せなのかな。

  仏教では、そんな幸せに対する考え方に疑問を投げかけているよ。そして、それらを「迷いである」として切り捨てている。なんでかというとね、ぼくたちの心の中には、欲といって、「あれも欲しい、これも欲しい」と思う心があるんだ。この心、どんなに物を手にしても満足することがない。1つ得られればその次が欲しくなる。それが得られればまた次が欲しくなる。そうやって、終わる事がない。いつもいつも何かを欲しがって追いかけている。だから、いつになっても幸せになることはできないってね。

  それからね、そうやって欲しがっているものは、すべて「はかない」ものばかりだということ。お金にしても家にしても、これから先、何百年ももつものではないね。自分の健康や命だって、はかないもの、あと数十年もつかどうかが分からない。いずれ、手離さなければならないものばかりだよ。そんな「頼りない」ものを「頼りにする」、それが間違いだと言われているんだ。

阿弥陀さまの願い

  じゃあ、阿弥陀さまの言われる「幸せ」って何だろう。それは「仏になる」ということ。つまり、「まちがった幸せ感」にとらわれた、欲に引きずられた迷いの世界から抜け出すこと。悟りの世界へ向かうこと。

  その時、ぼくたちが自分の力で仏になれるならいいけれど、残念ながらぼくたちにはそんな力はないんだ。仏さまはそれを見越して、「念仏一つで救われる願い」というものをたてられたんだ。阿弥陀さまは「わたしの国(浄土)に生まれたいと思って私の名前を呼ぶ人を、必ず私の国に生まれさせます」と誓われて、「必ずお前を仏にさせるぞ、間違うことなくこの道を歩いてこいよ」という願いをもって、私たちを見守ってくれているんだよ。