浄土真宗本願寺派 教念寺
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  第4回 信心ってなんだろう(1)

 さて、今日は「信心」についてだよ。信心は、「信じる心」と書くね。だから、「とにかく仏さまを信じればいいんだろう」って思われがちなんだけど、そんなに簡単なものでもないんだ。 一体、何をどう信じればいいのか、信じるって何なのか。今日はそんなことを考えてみたいんだ。
 
信じるって何だろう

  「信じる」って言葉、みんなどんなときに使うかな?だれかがお寺の障子を破りました。「ヒロシ君がやったのですか?」「いいえ、私はやってません」って言われたときに、「じゃ、ヒロシ君を信じるよ」ってことになる。それから、試験。タカシ君は、とにかく試験のヤマを当てるのがうまい。で、次のテストは何が出るのかを聞くと、「小数の計算はないね。あやしいのが分数の計算。分母が違うものの掛け算は確実にでるね」てなことを言われて、「じゃ、タカシ君を信じるよ」ってことになる。それから天気予報。明日海に行くって時に「明日午前10時に台風が上陸します」って聞くと、ブツブツ言いながらも天気予報を信じて海に行くのをやめてしまったりする。

  今の3つにどれも共通なのが、どれも不確実なことで、実際には「はずれるかもしれない」ということ。ヒロシ君はやってないんだろうと思ってたらそれはウソで、本当は障子を破ってたりする。試験のヤマだって、百パーセントってわけにはいかないだろうし、天気予報がたびたびはずれるっていうのはみんな経験済みだよね。ぼくたちは不確実なものを信じているわけだ。

  それともう1つの共通点は、「信じる」と言いながら、その心の裏側では「違うかもしれない」「はずれるかもしれない」という疑う心がいつもあるってこと。「本当はヒロシ君がやったのかもしれない」と思うから、「本当にやってないの?」って念をおしたり、「だれがやったの?」ってほかの子にも聞いてみたりする。試験のヤマを聞いても、実際はそれ以外のところも勉強するよね。天気予報はどうせはずれるだろうと思っているから、実際はずれてもあんまり頭にこないくらいだよ。

自力の信心

  ぼくたちの信じ方が、いかにいい加減か、分かったかな?さて、話を仏教にもどして、阿弥陀様がこういう誓いをたてられているよ。「私の国に生まれたいと思って私の名を称える者を、私の国土(仏国土・浄土)に生まれさせましょう」そう、毎度出てくる誓願のことばだね。

  じゃ、「この誓いを信じなさい」って言って、みんなが「はい信じます」っていって信じればいいのかな?それが信心なのかな?みんなどう思う?
  この信じ方は、さっきのたとえ話ででてきた信じ方と同じだね。本当に私が救われるのかどうかは分からない。不確実。それに、「そんな虫のいい話があるわけないし、お経なんて作り話だろう」という疑心(疑う心)もあったりする。こういう信じ方を、「自力の信心」っていうんだ。

 「きっと阿弥陀様が救ってくださるんだ、大丈夫、信じよう」と、一生懸命思い込む。信じよう、信じようと固くなればなるほど、疑う心が出てくる。信じるといいながらも疑う心がいつもあるから、「本当に信じている」「百パーセント信じている」とはいえないよね。信じたいのに信じられない、だからすごく苦しいんだ。

他力の信心(浄土真宗の信心)

  浄土真宗でいう信心は、そういうぼくらが日常的に使っている「信じる」というものとは、ちょっと違うんだ。どう違うかっていうと・・・
あれ、みんな寝ちゃったよ。じゃあ、ちょっと休憩にしよう。