浄土真宗本願寺派 教念寺
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  第5回 信心ってなんだろう(2)
 さて、今日は「信心」についての続きだよ。前回は、僕らは普通「不確実なことを信じ込む」ことを「信じる」と言っていて、でも浄土真宗の信心は違うんだ、信じ込むような信心ではないんだって話だったよね。

他力の信心(浄土真宗の信心)

 じゃ、浄土真宗でいう信心はどんなものだろう。

  それは、不確実なものを信じるのではなく、確実なものを信じるということなんだ。前回の例の天気予報でいえば、「明日が雨だ」と言われてもそれは不確実なもので、百パーセント信じることはできないよね。でも「今、雨が降ってるよ」と窓の外を指差され、外を見て本当に降っていたらどう?これは確実なものだし、間違いがないよね。だから当然疑う心もなくなる。雨を目の当たりに見てこそ裏側にあった疑心をなくすことができるんだ。

  さて、浄土真宗の信心で、ここでいう「雨」にあたるものは何だろう。それが、「阿弥陀様のはたらき」なんだ。阿弥陀様は本堂の真中でただ立っているだけじゃないよ。いろいろな形でぼくたちに働きかけているんだ。その働きに耳をすましてみると・・・。

阿弥陀様のはたらき

  まず、自分自身の命。自分がいつか死んでいく存在だと気づかされる。「そんなの当たり前だ、阿弥陀様とは関係なくだれでも知っているよ」と思うかな?たしかに「人が死んでいく」ってことはみんな知っている。でも自分自身の命が終わるときがくるっていうのは、案外だれも意識してはいないんだよ。のほほんと暮らしている。でも「この命が今日限り」と思ったらどうかな?のほほんとなんて暮らしていけないね。それを教えてくれるのが阿弥陀様なんだ。

  それから、自分の心の貧しさ、愚かさ、腹黒さに気づくようになること。人間っていうのは1人残らず、心の中には毒蛇を飼っているんだ。でももちろんそんなものは人に見せないし、自分でも見ないようにして暮らしている。汚い自分は見たくないから、見ないように見ないようにしている。でも、その心の中の毒蛇に気づき、心の貧しさ、愚かさ、腹黒さに気づき、ごまかせなくなる。これも阿弥陀様の働きの1つだよ。

  ごまかせなくなるのは心の中だけじゃない。その身の行い、口に発する言葉、一つ一つの罪がごまかせなくなる。その罪が積もりに積もって、僕らは必ず地獄に落ちる。でもその落ちる私を救ってくださるのが、これまた阿弥陀様なんだ。

  命についてもうひとつ。この命にたどりつくまでに、両親、そのまた両親、そのまた両親…と、たくさんの命のリレーによって、今の私がいるんだということ。そして、世の中に虫や動物といろんな命がある中で、よくも人間としての命をいただけたということ。そしてまた、毎日の食卓に、いかに多くの命が犠牲になっているかということ。

  当たり前のことのようだけど、これはすべて阿弥陀様が仕組まれたこと。いわば、「阿弥陀様が多くの命を用意して、私を生かしてくださっている」ことなんだ。生かしてくれるのも阿弥陀様なら、それに気づかせてくれるのも阿弥陀様のはたらきなんだ。

いただきものの信心

  ここまでいろんな例を見てきたけど、どれにも共通してるのが「何かを信じる」というものじゃなくて、「気づく」「知らされる」というものだということ。他力の信心、浄土真宗の信心っていうのは、気づき、知らされるものなんだ。それも、阿弥陀様のお働きとしてね。だから「いただきものの信心」という言い方がよくされるよ。そして知らされたなら、それを「ありがとうございます」と受け取ればいいんだ。自分の方は何も持たなくていい、用意しなくていいんだ。修行もお金も勉強もいらない。この身このまま阿弥陀様におあずけする、それが浄土真宗の信心なんだよ。