浄土真宗本願寺派 教念寺
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 第6回 罪ということ

さて、今日は「罪」ってものについて考えてみよう。みんな、罪ってわかるかな?例えば知らない人の家にドロボウに入ったり、ドロボウに入ったら家の人に見つかっちゃったからってその人を殺しちゃったり、殺さないまでも脅迫して、つまりおどしたりしながらお金を奪ったり、そういうのを罪っていうんだ。

  なんか、いきなりハードな話になっちゃったねえ。でもね、罪ってそんなに大げさなものばかりじゃないんだ。学校で隣の人の消しゴムを盗んだとするね、これが罪。それから友達と殴り合いのケンカをしたなら、これも罪。つまり罪ってのは、「悪い事、悪い行い」のことを言うんだ。

  さて、普通世の中では、罪っていうのは「この身で実際に行って」初めて罪として認められる。もしも「殺してやりたい」って心で思っても、実際に殺すことがなければ、それだけで殺人ってことにはならないよね。ところがね、仏教では心で思っただけで罪になっちゃうんだ。

  仏教ではね、人間の行いを「身・口・意」の三段階に分けて考えているよ。これはね、後ろから順に @心に思うこと A口に出して言うこと B体で行うこと を表していて、人間が行動するまでに、この三段階があるってことなんだ。

  まず、「○○がしたい」と心に思う。次に、口に出して「○○をするよ」と言う。そして実際に○○を行動に移す。善いことをするにも、悪いことをするにも、この三段階があるわけ。そして実際に行動に移さなかったとしても心に思っただけで、その行動を行うまでの第一段階をクリアしたってことで、ポイントが加算されてしまう。善い方だったらいいけれど、悪い方だったら…罪が確定しちゃうわけなんだ。

  だからさっきの例でいえば、殺人にいたるまでもなく、「殺してやりたい」と思った段階で、殺人罪は確定しちゃう。「ぶん殴ってやろうか!」と思えば傷害罪だし、人の物を見て「欲しいな」と思えば、その段階で盗みも確定しちゃう。仏教ってのは、なんとも厳しい教えなんだ。 あれあれ、「心に思ってることと実際に行うことは違うよ」って顔してるね。じゃ、少しそれについて説明しよう。

  勇太君はゲーム大好きだよね。新しいゲームのソフトが売り出されてゲーム屋さんで売ってました。どうしてもそのゲームが欲しい。でもお金はない。お店で見ていて、ふと「万引きしちゃおうか」って考えが頭をよぎる。でも、あたりを見回すと店員は多いし、ゲームはショーウィンドウに入って鍵がかかってるし、万引き防止カメラは回ってるし、出入り口には万引き防止の機械がある。こりゃとても無理だってことで万引きするのはやめました。めでたしめでたし。

  でもこの時、店員が1人もいなかったら?ショーウィンドウに鍵がかかっていなかったら?万引き防止カメラや万引き防止の機械がなかったら?少なくとも1度「万引きしようか」って考えて店員数やらカメラの設置具合を確認している勇太君、絶対万引きしないで店を出られるっていえるかな?

  ぼくたちが悪い事をしないのは、決してぼくたちが偉いからではないんだ。悪い事をするだけの縁がそろっていないだけ。もしも、店員がいない、万引き防止カメラがないって具合に縁がそろってしまったら、案外簡単に悪い事をしてしまうかもしれない。だから、悪い事が心に浮かんだら、その時点で罪が決まることになる。あとは縁がそろうかそろわないかという問題で、もしもそろえばやっちゃうし、そろわなければ踏みとどまる、ただそれだけのことなんだ。

  こんな僕たちを、親鸞聖人は「罪悪深重」と言われたよ。僕たちは、心の中は本当は罪だらけのくせに、表に出さずにすましてる。もしも表に出ていれば直すこともできるけど、出てこないばっかりに、なかなか直せない。いつまでもいつまでも、この罪をぶら下げて生きている。だから罪が深く重くなる。聖人は「罪悪深重」という言葉で、僕たちの逃げられない現実を教えてくださったんだ。