浄土真宗本願寺派 教念寺
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 第16回 中道について

 さて、みんなは「中道」って言葉、聞いたことがあるかな。
中道っていうのは、人間が悟りに至る道を示したもので、具体的には前回話した八正道のことを言う言葉だよ。

  悟りに至る道について、お釈迦様は2つの極端に陥らないように注意されたよ。まず「欲望にふける快楽主義の道」。快楽にふけることは愚かな行いであり、自身のためにならないからやめるようにって言われた。次に、「自分の体を痛めつける、苦行主義の道」。苦行ばかりにふけることは、立派な行いとは程遠いものであり、自身のためにならないからやめるようにって言われたんだ。それをわかりやすく示したのが、「琵琶の弦」のたとえさ。

  みんな、琵琶って知ってる?え、知らないの?じゃあギターは知ってる?ギターの弦がゆるすぎるとボロボロンって低い音がしてきれいな音は出ないよね。反対に弦を張りすぎれば切れちゃうよ。楽器の弦は、ほどよい強さで張られて初めてきれいな音を出す。悟りに至る道もこれと同じ。欲望にふける快楽主義も、反対に体を痛めつける苦行主義も、正しい道じゃないとされた。両極端な2つの道を否定されたんだね。そうして新たに示されたのが、中道・・・つまり八正道という教えなんだ。

  中道というと、「苦と楽の中間くらい」とか、「苦と楽を足して2で割る」みたいな、中途半端なイメージがあるんじゃないかな。苦と楽のいいとこを拾って「はい、苦楽の中道です」と言っているような。で、それがだめな場合は、「じゃ、こんなのでどうでしょ」ってまた別の道が用意されてたり。とにかく、苦楽の中間にあれば全部中道と思ってる人が多いんだ。

  でも、実は仏教で言う中道ってのはそんなにいい加減なものじゃなく、苦行主義と快楽主義をはっきり否定した上で示された、ただ1つの道なんだよ。 ここで少し、快楽主義と苦行主義について考えてみよう。快楽主義ってのは、一瞬の快楽を楽しむ生き方。目や耳、鼻、舌、触感といった五感を楽しませること。音楽を楽しんだり、見た目の美しさを競ったり。それから、おいしいものを食べたりお酒におぼれたり。こういう生き方をする人、今も昔も変わらずたくさんいるよね。煩悩のままに暮らしているわけだから、当然これじゃ悟りになんか近づけるわけがない。

  では、苦行主義は?苦行や修行をすれば心が洗われるなんて言うし、悟りに近づきそう。ところが事はそんなに簡単じゃないんだ。苦行を続ければ続けるほど、だんだん苦行自体が目的になってしまって、ただ自分の体を痛めつけることがすばらしいこと、尊いことのように思ってしまう。そして、本来の目的である「悟り」を忘れて、あげくに何のために苦行してたんだか分からなくなってしまうんだ。さらに「自分がこの苦行をした」ということにこだわってしまい、達成感や優越感といった一種の快楽を味わうための苦行になってしまう。これじゃ、どんなに苦行をしたって悟りにはなかなか至れないよ。

  こうしてお釈迦様は、2つの道を捨て、中道を選ばれたよ。中道の「中」とは、「端ではない」ということ、そして、「最適な」ということ。そして道とは、具体的な実践をいうんだ。仏になるための最適な実践、それが中道なんだ。

  浄土真宗の中道はね、阿弥陀さまのご恩を思ってただ念仏称えること、これに尽きるよ。「どんなに悪いことをしても救われる」からって、欲望にふける生活をするのは間違い。そして「一日何回称えよう」といって修行のように称える念仏も間違い。親心に耳を傾けて感謝の念仏を称えること、これが私にとって最適な仏になるための道なんだ。