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目に見える『間』見えない『間』

 散策中も家々の花々が楽しみになる季節となりました。しばし見とれるようなお庭がかなりあり、このところ割と家人がお庭に出ていたりお手入れ中だったりします。許可を頂いてお花の写真を撮らせてもらったりする事もあります。
 なかにはお庭に入ってちょうだい、と招かれて丹精込めたお庭の花々のお話をしてくださる方もあります。
 ある時は、門前のお花に「撮らせてくれて有難うね」とお礼を言っていたら「庭にはもっと違う花もあるからよかったらどうぞ」と案内してくださる方もありました。
 日焼け予防に帽子を目深にかぶり、今はマスクもしてますから、一見すると不審者のようないでたちなのですが、そうやってお花のお話をしてくださる方が、以前よりも増えてきているのです。やはり同性や同世代による話しかけやすさもあるかもしれませんが、『花友』さんたちは、私よりずっと若い方も、ずっと先輩の方もいらっしゃいます。ああ、これは、やはり不要不急の外出自粛のみならず、人恋しさからくるのかもしれない、と感じています。
 ある先生が「私達は『人間』に生まれました。サル目(霊長目)ヒト科の『ヒト』ではなく『人』と『人』の間で生きるのが『人間』です。だから『人の間』と書きます。人間に生まれたからと言っても、本当の人間になるのは難しいものなのですよ」と仰いました。
 私たちは目に見えないたくさんの仏様に囲まれ、護られながら生かされています。「おかげさま」と言える人生を送らせて頂く中で、『ヒト』ではなく『人間』になっていかねばね、と言うようなお話だったのだと思います。まだ私が中学生位で亡父に連れられて行ったご法縁で、きっとその後のお楽しみ目当てについて行ったのでしょう。先生のお名前も失念してしまいました。
 ソーシャルディスタンスが今当たり前のマナーとなる中で、そんな何十年も前の話を思い出しています。
 目に見える『間』も見えない『間』も、上手に距離を置いて、本当の『人間』にならねばなりませんね。間が抜けたり魔が刺したりしないように気をつけながら。目に見えるものにも見えないものにも「おかげさま」と言えるように。

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