蓮如上人御一代記聞書22
「絵像よりは名号」
お寺の本堂には、木像の阿弥陀様があるね。みんなの家のお仏壇には何がかけられているかな。絵に描いた阿弥陀様、絵像がかけられている人もいるし、「南無阿弥陀仏」の名号がかけられている人もいるね。どれも浄土真宗の本尊として認められたものなんだけど、名号がかかっているって違和感がある人もいるんじゃないかな。蓮如上人は、こんな言葉を残されているよ。
他流には、名号よりは絵像、絵像よりは木像といふなり。当流には、木像よりは絵像、絵像よりは名号といふなり。
他流というのは、浄土真宗以外の宗派のこと。浄土真宗以外では、名号より絵像を、絵像より木像を大事にするけど、浄土真宗では木像より絵像を、絵像より名号を大切にするとおっしゃってるんだ。
実は木像・絵像・名号の3つは、どれも阿弥陀様のはたらきを表しているものだよ。木像と絵像は観無量寿経の中で、悩み苦しむ韋提希夫人の前にあらわれ出たお立ち迎えのお姿を、名号は私を救うためにお名前となってくださったお姿を表している。別のものに見えるけど、この3つは「私を救ってくださるお姿」として同じものなんだ。
阿弥陀様は、僕たちのところに、音になって来てくださる。なもあみだぶつの音になって届いてくださる。それを難しい言葉で「音声回向(おんじょうえこう)と言うんだ。僕たちの口から出る南無阿弥陀仏の念仏は、僕たちから出てきたものじゃなく、阿弥陀様から出てきたものなの。阿弥陀様の願いが僕たちにいたり届いて、ナモアミダブツの音になって出てきてくれている。
だから、念仏の声を聞いたなら、阿弥陀様が「我が名を称えて助かっておくれ」と願われている呼び声と聞かせていただくことが大事で、それを表してくれているのが、名号の本尊。絵像や名号が木像より劣っているわけじゃない、どれも大切な阿弥陀様のはたらきですよと蓮如さまはおっしゃっているんだよ。