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蓮如上人御一代記聞書24
「大和の了妙(りょうみょう)」

蓮如上人の時代、堺の日向屋(ひゅうがや)という大金持ちがいたんだって。でも蓮如上人は、

堺の日向屋は三十万貫を持ちたれども、死にたるが仏には成り候ふまじ。大和の了妙(りょうみょう)は帷一つをも着かね候へども、このたび仏に成るべきよ

と、その日向屋さんは、お金はあるけど仏に成れない、反対に着物一つも持たない大和の了妙さんは、仏に成るぞとおっしゃってるよ。

了妙さんは、元々造り酒屋に嫁いで豊かな生活をされていたけど、夫が亡くなり、貧しく厳しい暮らしをされていたよ。そこに布教の途中に立ち寄られた蓮如上人のお姿に心打たれ、出家して蓮如上人の弟子になった方なんだ。

あるとき、蓮如上人が了妙さんに、何をしてるかとたずねられた。「糸車をくりながら、お念仏申させてもらっております」と了妙さんがお答えになると、蓮如さまは、「それは心得違いだぞ。糸をくりながら念仏を申すのではない。念仏を申しながら、そのついでに糸をくるのだ」とおっしゃったんだって。

「糸車をくりながら念仏する」のと「念仏しながら糸車をくる」のは、どっちも同じように思うけど、よく考えると意味が全然違うんだ。

糸車をくるっていうのは、生活のことだね。僕たちでいえば、勉強とか仕事のこと。「仕事をしながら念仏する」と言うなら、あくまでも中心は仕事や生活ということになって、念仏もその生活の一部ということになる。反対に「念仏しながら仕事をする」ならば、中心は念仏の方で、生活はそのためにあるということになる。

僕たちは、たくさんのお金を手に入れてぜいたくな暮らしをすることや、おいしいものを食べたり、欲しいものを手に入れたりすることが人生の目的だと思っているけれど、人生で本当に大切なことはそんなことじゃない。念仏させていただき仏に成ること、これが一番大切なことなんだよ。

だから、中心になるのは仏法、念仏の方であるべきなの。早く信心をいただいて仏に成る道を歩んでおくれと、蓮如上人は教えてくれているんだよ。

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