蓮如上人御一代記聞書25
「ただ物を申せ」
みんなは学校で授業を受けるとき、どうやって聞いている?黙って先生の話を聞いているね。でも、時々その話がわからず理解できない時もある。そんなときはどうする?そう、手をあげて質問すればいい。でもこれ、なかなかできないよね。「こんなこともわからないのか」って笑われるんじゃないかって心配になっちゃう。
でもそんな時、蓮如上人は、「ただ物を言え」とおっしゃってるよ。
信不信ともに、ただ物をいへと仰せられ候ふ。物を申せば心底もきこえ、また人にも直さるるなり。ただ物を申せと仰せられ候ふ。
「信心を得たものも得ていないものも、ともかくものをいいなさい。そうすれば、心の奥で思っていることもよくわかるし、また、間違って受けとめたことも人に直してもらえる。だから、すすんでものをいいなさい」ってね。
お寺での聴聞は、聞いていればわかったような気持になる。小さな疑問があっても、まあお坊さんの言ってることだからとそのまま終わらせてしまうことも多いんじゃないかな。でもそれは間違いだよ。仏法では、小さな疑問が大きな間違いになる。だから、心に引っかかったことはそのままたずねて、聞いていくのが大事なことなんだ。
聞きっぱなしにならないように、蓮如上人は「談合」ということを大事にされたよ。談合って、今では「大きな会社が会社同士で打ち合わせて価格を吊り上げる」というような悪い意味に使われているけど、元々は文字通り「話し合う」という意味だった。仏法の話を聞いた後、聞いたところを話し合う、すると5人に3人は聞き間違いをしているなんてことがある。せっかくお話を聞いても、間違えていたらもったいないことだよね。
もともと自分中心で、頑固な頭の僕たち、少し聞いたくらいでわかるような賢さや心の柔らかさは持ち合わせていないよ。人にたずねて、間違いを直してもらいながら、繰り返し繰り返し聞いていくことが大切なんだよ。