蓮如上人御一代記聞書27
「久遠劫より久しき仏」
阿弥陀様が仏になられたのは、今から十劫の昔と言われているよ。親鸞さまが書かれた浄土和讃には、
弥陀成仏のこのかたは
いまに十劫をへたまえり
と、「阿弥陀様が仏に成られて十劫の時がながれた」と、はっきりと記されているね。
じゃあ、十劫より前はどうだったのかな?そのことについて、蓮如さまはこんなことを話されているんだ。
久遠劫より久しき仏は阿弥陀仏なり。仮に果後(かご)の方便によりて誓願をまうけたまふことなり。
久遠劫というのは、はるか昔ということ。さっきは十劫という限られた時間を言ったけど、実はもっとはるか昔に阿弥陀仏に成っておられたというよ。そして、「果後の方便によりて」、つまりぼくたち衆生を救いとるためのお手回しとして、法蔵菩薩となって四十八の誓願をたてられたんだってね。
阿弥陀様はさとりの世界の方だから、「いろもなく、かたちもましまさず」といって、僕たち愚かな衆生には認識できない。しかも「はるか昔に仏になられた」といわれたら、いよいよ想像もできないね。だから、その僕たちに少しでもわかるようにと、法蔵菩薩となって修行をつまれ、誓いをたてられ、十劫前に仏に成られたと説かれているんだ。
そうして伝えたかったのは、阿弥陀様のお心さ。阿弥陀様が僕たち凡愚の衆生を一番に考えて、何とかしてこの苦しみ悩む人たちを救いたいと願われたこと。何の修行もせず、信じる心ひとつですくい取ってみせると誓われたこと。ひとり、またひとりと地獄に落ちていく衆生を、涙を流してご覧になっていること。このお心を伝えるために、わざわざ仏の座をおりて、法蔵菩薩となりさがって修行のお姿を見せてくださったんだ。
阿弥陀様は恩着せがましく「お前のためにこんなことをしてやった」とはおっしゃらない。でもだからこそ、僕たちの側からそのご苦労やお心を偲ばせてもらおうね。