がらんどう

 少し前に、テレビの伝統芸能でお能の「隅田川」を観ました。同時解説つきですから、初心者向けです。
 時は平安時代。人買いに拐われた息子を京都北白河から探しに来た母親が、武蔵国隅田川のほとりで息子の死を知らされます。息子の幻を出す演出と出さない演出が世阿弥の頃からあるそうで、幻が出る演出でしたから、やはり初心者にわかりやすいようにという配慮だったのかもしれません。この余りにも悲しいお話は人々の心をとらえ続け、その後歌舞伎や浄瑠璃にも取り入れられたと解説がありました。
 そして、ビートルズのジョン・レノンの話を思い出しました。
 ある古美術商が、ジョン夫妻を歌舞伎に招待しました。まだイヤホンガイドが始まる前です。演目は六代目中村歌右衛門の「隅田川」でした。息子の死を知らされた母が涙にむせぶ終幕。古美術商が、さぞ退屈しているであろうとジョンを見ると、ジョンは退屈しているどころか、感極まり止めどもなく涙を流していたそうです。
 さて、私は六代目中村歌右衛門の舞踊を観る機会はありませんでしたが、「隅田川」は海外でも高く評価されるほど有名でした。とりわけ歌舞伎座での「隅田川」は他の劇場よりも幻想性があったという話を聞いた事があります。それはきっと役者と空間の関係性であると同時に観客が作り出すものだとの事でした。
 今年も1月に入りコロナ感染者が増えてきたことから、2月土曜法座から3月土曜法座までの法座を中止にしました。お彼岸はどうなるでしょうか。一昨年の春彼岸の法要を思い返しています。門徒さんの参詣なしで僧侶だけでつとめましたが、どうも勝手が違うのです。同じ荘厳で、同じ作法、おつとめですが、全く違うのです。
僧侶だけではダメなんだなぁと感じました。
 小さな本堂が寒々と広く感じます。門徒さんがいない本堂を「がらんどう」と言うんじゃないだろうか、と思いました。
 歌舞伎座の空間と同様に、参詣の方お一人お一人の、お念仏の声が作り出す空間が、浄土真宗の本堂なんですね。

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