蓮如上人御一代記聞書38
「信心やある、おのおの」
みんなの家のお仏壇には、どんな掛け軸がかかっているかな。そう、阿弥陀様を中央に、右に親鸞さま、左に蓮如さまの掛け軸がかかっているね。浄土真宗の本尊は阿弥陀様だから、真ん中には阿弥陀様がいらっしゃるんだ。絵に描いた仏様だから、これを絵像というよ。
ほかに、名号本尊といって、「南無阿弥陀仏」の名号をかけている家もある。絵と文字の違いはあるけれど、これも正式な本尊で、蓮如上人の時代には門信徒の本尊はもっぱらこの名号本尊で、蓮如上人が名号を直接したためられ、門信徒にお配りになっていたよ。
あるとき、多くの人たちが名号本尊をいただきたいと申し出られ、それを蓮如上人のお子様、まだ幼少だった七男の蓮悟さまがお取次になったよ。ところが蓮如さまはその人たちにこうおっしゃったんだ。
信心やある、おのおの
「それぞれみな、信心はあるか」とおっしゃったわけ。おそらく、「蓮如さまが直接書かれた名号だから、不思議な力をもっているだろう」「この名号さえあれば浄土往生できる」というような間違った思いを持つ人がいて、その人たちをさとすためにこうおっしゃったんだろうと思うよ。
蓮悟さま、幼少の頃とてよほど印象深かったようで、後に振り返って述懐されたよ。
信心はその体名号にて候ふ。いま思ひあはせ候ふ
つまり、「信心の本質は名号である。あのときの蓮如上人のお言葉が、今にして思いあたる」と示してくださっているね。
南無阿弥陀仏の名号は、もちろん大切なものだけど、お守りやお札のように思っていたらちょっと違うんだ。我が名を称えて救われてほしいという阿弥陀様の願いが先にあり、それが言葉になったのが名号、その願いをいただいて阿弥陀様にお任せすることが信心。だから信心の中身が名号であって、信心と名号は別のものではないの。僕たちは、名号をいただいた信心で救われていくんだよ。