行き先が違う車
お母さんがいなーい!
その日は、出張前日で、母をショートステイに預ける日でした。施設から送迎時間の連絡があり、母に伝えに行くともぬけの殻。手違いで、いつものデイサービスの送迎車が来て、何の疑いもなく乗って行ってしまったのです。
しっかりした人なら、今朝のご飯の時、今日からお泊まりだと言っていたのにおかしいなぁと思うはずですが、母は迎えに来る方に我が身を安心して任せているのですから、仕方のない事です。
さて、いまに私が母のようになった時、同じように安心して信じて任せきる事が、果たしてできるのだろう!?と考えました。
人生において「乗ってはいけない車」は本当にたくさんあります。誘拐犯が怖い形相だったり詐欺師がアヤシイ風体なら気をつけますが、そうではないから乗ってしまうのです。アヤシイ宗教や儲け話などもそうなのです。社会に出たら気をつけて気をつけて歩いていかねばならないよ、と、先人達に教わりました。
ですが、会う人会う人疑ってばかりいて誰の事も信じなかったら、レストランでの食事も、スーパーで食材を求める事すらもできません。
以前、自分の事しか信じないんだ、と、どこへ行くにも通帳と印鑑を持って出かけている人に会った事がありますが、なんだか悲しい気持ちになりました。一番いいかげんなヤツが「自分」って事もあるのになぁ、と思いました。
私は、名前のせいかよく道を訊かれます。ある時、駅でお婆ちゃまに呼び止められ「私、どこに行ったらいいでしょう?」と訊かれました。すぐ近くに交番がありますから、お連れしようとしましたが、帰り道はわかるので、一旦家に帰ればまた思い出すかもしれないと言われました。所用を済ませて戻ってみましたが、その方はもうそこにいませんでした。
今回の母の一件で、その方の事を思い出し、二人がピッと繋がりました。
その方の言葉は、私に「あんたは自分がどこに行ったらいいかわかっているかい?」と訊いていたのかもしれません。
ちゃんと信じて乗れる車はあるのかい?阿弥陀さまの車以外は安心して乗ってはいけないんだよ。