節目に思う
今年はわが宗において「立教開宗」800年の節目の年です。それは、親鸞聖人が関東におられた時に『教行信証』を著わされ、本文中に元仁元年(1224)という年号がありますことを根拠にしています。親鸞聖人52歳の時です。執筆された場所は稲田草庵、今日の西念寺の地であったであろうとされています。
『教行信証』は正式には『顕浄土真実教行証文類』と申します。「浄土が確かに存在するというほんとうの教えと、それに基づく行と、その行に基づく成果を明らかにした文章を集めた書物」という意味です。
この書を著わすにあたって、聖人は何度も稲田草庵から鹿島神宮まで出向かれたと伝えられています。それは、鹿島神宮に蔵されていた一切経を読み、書写するためでした。鹿島神宮までの距離は60キロから70キロといいますから、片道2日から3日を要したことでしょう。
さて、京都へ帰られてから関東の門弟と交わしたお手紙が「親鸞聖人御消息」として今日まで残されています。
その中に「なほおぼつかなきことあらば、今日まで生きて候へば、わざともこれへたづねたまふべし」(註釈版聖典775~776)
(なおこころもとないことがあれば、今日までこのようにして生きながらえているのですからわざわざにでも私のところへお尋ねにおいでなさい)と示されています。
今の時代であれば京都まで度々出向くことも可能ですが、鎌倉時代ではまだ街道が整備されていませんので、まさに命懸けを意味します。
歎異抄第二条冒頭に「おのおのの十余箇国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり」と記されています。
往生についての不審を質すということは、命懸けの困難をも超えなければならないし、命をかけて聞くほどに大切なものである、とお示しくださっているのです。
今の時代を生きる私たちは便利さや快適さを享受しています。そのような時代であってなお、真剣に往生の道を問い、聞いていかねばならないのです。
この節目の年に改めて親鸞聖人のご苦労を心に留めたいと思います。