作務衣と子育て
あー、これではいけない、と思ったのは3人目を妊娠した頃でした。
衣食住一体型のお寺で、当時幼稚園児の長男と、2歳の次男に『今は僕の母さんではなく、お寺の母さん』とわかってもらうにはどうしたらいいか⁈そこで考えたのが、法事や作務の時は作務衣を着る事でした。
最初のうち、それ着ないで、と泣いていた子ども達もだんだん慣れてきて、母さんがこれ着てる時、困った事は兄弟で力を合わせて解決していくように、と言いました。
あれから四半世紀経ち、子ども達は皆それぞれの道を歩んでいますが、どうも兄弟で力を合わせる事が、トラブルに対する問題解決ではなく、小さな頃のいたずらレベルの気がしてしまいます。親に心配をかけないように兄弟で解決する、など、ドラマの中での事だけかもなーと苦笑いしています。
三男や四男の時、作務衣はマタニティウェア代わりにもなりました。今は残念ながら良き体型隠しでもありますが、桜吹雪の中、新学期が始まった地元の小中学生達を見ながら子ども達との懐かしい事を思い出しています。
お迎えや参観日に作務衣のまま行って、これでだけは学校来ないでと言われた事もありました。
自分とお寺とどちらが大切なのか、と、泣きそうになりながら訴える子もいました(世の中の夫と言われる人達が、妻に似たような事を言われますよね)。そりゃお寺だよーと答えた話をしたところ、子育て先輩方に優しく諭された事もありました。
叱らねばいけない時は本堂で正座させ(私の後ろには阿弥陀さまなので、虎の威を借る狐状態)でのガンガントーク(もはや教育ではなくなる)でした。あんなに叱ったのに大した成長はないのだったら、叱らなければよかったのに、と思います。
いつもDr.早川一光の『子ども叱るな 来た道じゃ 年寄り嫌うな 行く道じゃ』を心に留めていたはずでしたが、私の子育て、失敗だったなーと、最近つくづく思います。
ですがまた、失敗でよかったのだ、と思うようにもなりました。もし失敗でなかったら、謙虚な気持ちを何処かに置き去りにしてしまうように思うからです。
子育ては失敗でよい。これって言い訳でしょうか。