蓮如上人の御生涯 5
「修学は次代のため」
得度を終えて僧侶となった蓮如上人。かつては、「蓮如上人は比叡山の北谷で天台の学をきわめられた」と伝えられてたけれど、特にどの先生について学んだという形跡もなく、どうやら上人は比叡山には登られなかったようだよ。
では、どこで学ばれたんだろう。上人の主な修学の場所は、大谷にほど近い常楽台というお寺だったよ。ここは本願寺第3代覚如上人の長男、存如上人が建てられたお寺で、代々宗学をおさめる場所だったんだ。たくさんの聖典が所蔵されていて、さらに蓮如上人の叔父、空覚を先生に、浄土真宗の教学を深く学ばれたんだ。
そしてもう一箇所、奈良の興福寺大乗院門跡、経覚について勉学したよ。経覚は、関白九条経教の子で、蓮如上人より二十一歳年長だった。その母正林尼は本願寺の出身といわれ、経覚とはそれから以降、晩年までさまざまな場面で深くつながりをもつことになるんだ。
当時は学問するといっても、今のような授業や講義もなく、教科書だって整っていなかったよ。だからまずは学ぼうとする本の精読・書写が中心だったんだ。蓮如上人の学ばれた本は、親鸞聖人の主著である『教行信証』、『和讃』、覚如上人の『口伝鈔』『改邪鈔』、存覚上人による教行信証の注釈書『六要鈔』、浄土宗西山派の聖典とされる『安心決定鈔』、唯円著作といわれる『歎異抄』と幅広く、浄土真宗の大切な聖典にあたられたよ。なかでも『教行信証』や『六要鈔』は表紙が破れるほど読み込まれ、『安心決定鈔』にいたっては七部も読み破ったと伝わっているよ。油の代わりに薪を燃やしたり、月夜にはそれすら節約して月の光で書見するほど、貧窮に耐えながら勉強を続けられたんだ。
蓮如上人の勉強は、単なる研究というようなものではなく、信心獲得にねらいをしぼった学習だったよ。ここでの学習が、後の上人の布教伝道、御文章制作等にいかされていくことになるんだ。
こうして、法然聖人、親鸞聖人、覚如上人と伝わってきた浄土真宗の正統教義を正しく継承し、今日の僕たちのために平易に説き開いてくださったんだよ。