魚にあたふべし
最近のお墓事情調査では、それぞれの家で護ってゆく「一般墓」と樹木葬や納骨堂などの「永代供養型のお墓」の割合がほぼ同じになったのだそうです。
お寺に寄せられる仏事相談では以前は遠方にあるお墓を移転する件に依るものが多かったのですが、近年は「墓じまい」の相談ばかりの印象です。
これは、家族構成と居住が大きく関係しています。子供が少なく、婚姻の有無などで次の代にお墓を継承することが難しくなってきていること。次にひとつ地域に住み続ける人ばかりではないために固定化された墓地が敬遠される、というものです。
せっかく建立したお墓にお参りする者もなく、無縁墓同様になってしまうことを考えると「墓じまい」もやむを得ない選択なのでしょう。
さて、親鸞聖人は晩年に次のようなお言葉を残されました。
かつは本師聖人(親鸞)の仰せにいはく、「某(親鸞)閉眼せば、賀茂河にいれて魚にあたふべし」と云々。
(私が命終わったならば、京都の鴨川に遺体を流して、魚の餌にしてください)
『改邪鈔』第十六条
このお言葉の真意は、立派な葬儀や大きな墓などは不要であることを示しています。
聖人ご往生の後にお墓が建立され、そのお墓を管理する役目が留守職(るすしき)と呼ばれ、聖人の血縁の方がこの職に就きました。やがて、この場所がお寺の形式に改まり本願寺となり、連綿と歴史を重ねる礎となりました。
親鸞聖人はお墓は要らない、というお気持ちであったのですがこのように残されたことにお叱りを受けることはないと思います。
それぞれの時代で親鸞聖人のご遺徳を偲ぶ場となり、残された著作を研鑽し、やがて全国に広がるお念仏の中心道場として護り続けられたことに喜びを感じておられると思うのです。
お墓は遺骨を納めるだけの収容場所ではありません。亡き方を通してお念仏させていただく場であり、お念仏をよろこぶ場でもあるのです。
お墓を閉じられた方には是非、親鸞聖人のお墓である大谷本廟へお納めいただき、より一層にお念仏のご縁を深くしていただきたいと思います。