1. HOME
  2. 仏教コラム
  3. 一緒に京都へ

一緒に京都へ

 仲良しだったからなー。
 門徒さんのOさんとIさん。仲良しで、よく法座や法要ではご一緒でした。年代も苦労の種類も似ていたようで、話が合うお仲間だったようです。お二人とも私の母世代。 私は母に甘えるのが下手な分、お二人を含む母世代の人に随分と甘えてきてるのです(お母さんがいっぱい!)。
 お二人は亡くなった時期は半年ほど違うのですが、この度、京都大谷本廟へ同時に分骨の運びとなりました。
 大谷本廟で、お二人のお骨を並べておつとめしました。ずっとお守りしていたせいか、涙が出てきて仕方なく、きちんとおつとめできませんでした(ごめんなさい)。南無阿弥陀仏のお名号前の骨壺が涙でゆらいで、お二人が「まったく、坊守、何泣いてんの」とケラケラ笑っているように見えました。
 生前のお二人に大谷本廟分骨の話をしました時、お二人共それぞれに、あぁそれはいいねと仰って、ご本山団体参拝の折に大谷本廟へもお参りしました。私はお留守番でしたから、感想を訊いた時、お二人それぞれ坊守が初めて行った時がまだ小学生で、お墓とは思わずお寺だと思っていた、と言ったの納得だったと仰って、本廟の教念寺の納骨堂は蓮の綺麗な絵がよかったよ、と話されていました。
 あの日の雑談が本当に昨日のような気がして不思議な気持ちになりました。思い出すのは他愛もない話ばかり。お二人ともお料理が上手で、法要等の集まりの時は必ずといっていいほど差し入れをたくさん作って持ってきてくださいました。坊守が大変だからね、といつも仰っていて、時にはお料理やお裁縫の指南もしてくださいました。私が不器用ですから、見るに見かねてやってくださっていたのでしょう。
 涙で揺らぐ先のお二人は目を細めて笑ってらっしゃる。あぁ本当にお母さんなんだなーと感じ入りました。
 辛い時や悲しい時、困った時、多分亡くなってからも、私は時々お二人に話を聞いてもらっていたように思います。これからどうしたらいいかなー。
 そうだ、京都行こう!
 いやいや、今まで通り、本堂で手を合わせましょう!

関連記事