お寺の役割

 近年、お寺の近くにも〇〇霊園や〇〇メモリアルといった公園墓地が多くなってきました。注意深く見てみると、故人の名前の脇に法名や戒名が刻まれていないものが目立ちます。これは、俗名のままで納骨されていることを意味します。葬儀を行っていないか、俗名で葬儀を行ったということです。中には僧侶の読経を必要としない方もあります。このように、自分の考え、即ち「私流」で故人を偲ぶ場所として墓地を造られているひとたちも少なくありません。
 しかし当然ながら、仏教徒としての法義を尊び、葬儀においても僧侶を招き、法名や戒名もいただき、亡き方の遺徳を偲ぶ葬送の法会をお勤めされる方もあります。旧来の仏教徒としての行いですが、ただ違うところはお招きした僧侶が菩提寺から来ていないということです。
 しかし、そのことが深い縁となりそのお寺の新しい檀家や信徒になることもあります。
 一方、葬儀にだけ来てくれて読経さえしてくれればそれでよい、と考えている方もあります。
 その方が建墓するとすべてをその霊園に委託して、その後のお勤めはすべて霊園施設内で行うことになります。僧侶は霊園で頼んでくれるので煩わしさは解消してくれます。自分たちの都合にあわせて来てくれるので、便利この上ありません。
 また、毎回違う僧侶(宗旨は同じでしょう、おそらく)であっても左程気になりません。礼拝堂もあって、終われば食事の用意もしてくれます。「菩提寺を持ちたくない仏教徒」の受け皿が霊園になっている実態があります。まさに「霊園の寺院化」ともいうべき現象です。
 お寺の本来の役割は葬儀や法事を勤めることだけではありません。仏法を伝えるための方便としての法事であるという意味もあるので、仏教徒としてまた、真宗門徒として歩むことができる手助けをするところであるわけです。
 墓地という縁深い場所も本当に行くべき場所が浄土であることを有難くよろこぶことが出来るよう導くご法縁こそを大切にしていただきたいと願うばかりです。

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