蓮如上人御一代記聞書13
「耳なれぬれば」
蓮如上人は、折にふれてこんな歌を教えてくださったよ。
おどろかす
かひこそなけれ村雀
耳なれぬれば
なるこにぞのる
みんなは「鳴子(なるこ)」ってわかるかな?手に持って鳴らす「よさこい鳴子」なんてのがよく知られているけど、もっと古くは木の板に竹筒や木片をいくつかつけたものだったんだ。田畑の周りに巡らせたひもにつるして、雀が稲をついばみにくると、離れたところからひもを引っ張って音を鳴らすの。雀は音に驚いて逃げてくね。そうやって雀を追い払い、田畑を守っていたんだよ。
でも、雀の方では、最初のころこそ驚くけど、何度もやられているうちにすっかり慣れてしまい、ちっとも驚かなくなる。しまいには驚かすための道具である鳴子の上にとまって田んぼを眺めている始末。まったくイヤになっちゃうね。
でも蓮如上人は、雀の話をしているわけじゃない。僕たちのことを話してくださってるの。
仏教では、たくさんの「怖い話」をするね。自分が悪業を作っている話。悪業ばかりを作った人は悪因悪果で地獄に落ちるって話。この世が無常で、いつ命が尽きるかわからないということ。当たり前と思っている生活が、いつ壊れてしまうかわからないこと…法話のたびに、こんな怖い話が繰り返されている。
それなのに僕たちは、「またあの話か」「はいはい、地獄のことね」と、ちっとも真剣に取り合わない。鳴子にのってる雀と同様、すっかり慣れてしまっているよ。地獄も無常も、他人ごとだと思ってすましてる。
そうではないね。仏教は僕たちの本当の姿を教えてくれるもの。危なっかしくて頼りない僕たちの姿を示してくれているんだ。
仏さまは、「地獄も無常も、お前のことなんだよ。どうか自分の本当の姿に気づいておくれ、そして安心の我が胸に飛び込んできておくれ」と、僕たちに呼びかけてくださっている。繰り返される怖い話も、そんな仏さまの慈悲の心から出ている話なんだ。