蓮如上人御一代記聞書14
「悪凡夫の仏に成るこそ不思議」
あるとき、法敬というお弟子さんが蓮如上人にお話になったよ。
「上人のお書きになった六字のお名号が火事にあって焼けたとき、六体の仏となりました。まことに不思議なことでございます」
蓮如上人は門信徒のみなさんに六字の名号、南無阿弥陀仏を書いて与え、それを本尊とすることをすすめられていたよ。その名号が焼けた時、なんと六体の仏さまになって空をのぼっていかれたんだって。不思議なことだよね。でも、蓮如上人はこう答えられたよ。
それは不思議にてもなきなり。仏の仏に御成り候ふは不思議にてもなく候ふ。悪凡夫の弥陀をたのむ一念にて仏に成るこそ不思議よ
六字の名号はもともと仏さまだから、燃えて仏さまになるのは不思議でも何でもない。この罪深い私たち凡夫が弥陀にお任せする信心一つで仏に成ること、これこそが不思議なことではないかと答えられたんだ。
不思議なことというと、僕たちは超能力、超常現象、幽霊…、そんなものを思い浮かべるけど、仏教でいう不思議はそれとはちょっと違って、昔から「五つの不思議」があると言われているよ。それは「衆生多少・業力・竜力・禅定力・仏法力」の五つなんだけど、親鸞聖人は和讃の中で
いつつの不思議をとくなかに
仏法不思議にしくぞなき
仏法不思議といふことは
弥陀の弘誓になづけたり
と、五つの不思議の中でもこの仏法不思議こそが尊くすぐれていて、それは弥陀の弘誓のことだとおっしゃているんだ。
弥陀の弘誓とは、阿弥陀様の本願、第十八願の「我をたのむ者を必ず救う、仏にしてみせる」という誓いだね。この誓いによって、僕たち凡夫は仏になれる。もっといえば、この誓い以外の手立てでは仏にはなれないのが僕たちの本当の姿なんだ。
蓮如上人はこの親鸞聖人のお心を、「悪凡夫が仏に成ることこそが不思議なんだよ。目先の不思議なことに惑わされるのではなく、本当の不思議、私たちの知識を超えた阿弥陀様のはたらきを知っておくれ」と教えてくださったんだね。