蓮如上人御一代記聞書18
「よろこびおほきは仏恩なり」
お釈迦さまは、「人生は苦なり」と説かれているね。代表的な苦しみに、老・苦・死の三苦があるよ。
でも、僕たちにとっては老・病・死は、遠い先の話で、リアルに感じることができないね。今現に、ほんとに味わうのは、「愛別離苦」といって、愛する人といつか別れなければならないという苦しみや、「求不得苦」という求めても得られない苦しみなんじゃないかな。
蓮如上人は、「万かなしきにも、かなはぬにつけても」と、愛する人と別れる悲しみや求めても得られない苦しみを示したうえで、
なにごとにつけても、後生のたすかるべきことを思へば、よろこびおほきは仏恩なり
「どれほど大きな苦しみや悲しみがあっても、このたび必ず浄土に往生させていただくことを思うと、喜びが多くなるものだ」って説いてくださっているよ。
苦しみや悲しみの感情は、どうして出てくるんだろう。自分が「こうあってほしい」と願っている形と違う形になるから出てきているんじゃないかな。家族が亡くなる苦しみや悲しみも、「いつまでも皆が元気で今の生活が続いてほしい」という思いが先にあって、それがかなわないから生じてくる。でも、今の生活が永遠に続くことがないってことは、これまた「諸行無常」といってお釈迦さまが説かれたところ。僕たちはできもしないことを求めているから、いつまでも苦しみ悲しみから逃れることができないんだ。
無常なものを常でありたいと思うのは、煩悩だよ。僕たちは煩悩が捨てられないから、苦しみ続けているわけ。その愚かな姿をあわれんでくださっているのが、阿弥陀様。苦しみ悲しみを抱えたままで、煩悩をたっぷり持ったままで、必ず救いとると誓ってくださっている。そのお心を思うとき、自分勝手に「こうありたい」と願っていた自分の願いの至らなさや愚かさに気づき、阿弥陀様をいよいよ頼もしく思って喜ぶ心が出てくるんだ。