まさかの知覚過敏
ちょうど一年位前、歯が無茶苦茶痛ぁぁぁぁいっ!と、歯医者さんに駆け込みました。「虫歯ではなくて知覚過敏です」と。あー、あの、大袈裟だと笑っていたテレビCMのやつですかー。どうやら歯磨きの時に無駄に力を入れているとなり(力を入れねばならないのはそこではないでしょうに)。
四苦八苦の苦しみの中で8割は五蘊盛苦(ごうんじょうく)の気がします。歯も手足も胃袋も、そこにあるから痛みを感じるのです。
よく肝臓は無言の臓器と言われていて、痛みがない分ダメージに気付かないからお酒を飲む人は休肝日を設けましょうと言われます。『かんじん要』の『かんじん』と言う言葉を聞く時『肝腎』だと、あぁ、解毒作用を担っている『かんじん』な場所だよな、と思いますし『肝心』だとダメージがわかりにくい『肝臓』と『こころ』だなと思います。もちろん、『肝臓』と『心臓』なんでしょうが、心臓クンは肝臓クンと違って、何かの拍子にドキドキしたり(今や恋ではなく心疾患を疑うお年頃となりましたが)、鼓動を感じたりするので意外と存在をアピールしてきます。『こころ』の方は大変肝臓クンに近いポジションで、症状が出たら手遅れです、となりがちな気がします。
『こころ』って、ふいに重たくなるのです。普段は軽いから『わたし』の中にあっても気付かなくて、ある日いきなりドドンと重たくなるのです。そうなった時、あ、私には『こころ』があるから重たくなるんだな、とはなかなか思えなくて、自分が悪い、とか、これからどうしよう、とか、更に『こころ』に荷物を持たせてしまうんです。
ですが、この、心が重い時、辛くて仕方ない時は、お育ての中にあると実感できる時でもあるような気がします。
心も肝臓のように休ませる休心が救心に繋がりますね(某市販薬ではないので悪しからず)。心を休ませるのは仏さまのお話しかないと思っています。占いやアヤシイ宗教では、気分転換や一時しのぎの気がします。
心の定期検診はお聴聞しかないな、と、歯医者さんからの定期検診のお知らせを見ながら、そんな事を考えています。知覚過敏にならないように、『智覚』を磨かねばねぇ。