はじめての梅仕事
私が小学5年生位の頃でした。「わたし作る人、僕食べる人」というテレビCMが問題になりました。当時、そのCMの何がいけなかったのか、私にはわかりませんでした。
ただ、その頃は専業主婦が多かったのです。私の母もそうでしたし、『鍵っ子』と言う言葉が生まれるほど、お店屋さんでない限り、お母さんも働いている友人は数名だったように思います。
ですが、中学、高校と学年が上がるにつれて、外で働くお母さんが増えてきました。私は、一生働ける資格が欲しい、と、中学生位から考えていました。女の子は結婚して家庭に入れば良いと考える父とはずっと対立していたように思います。塾に行くのも反対されましたが、希望の習い事はどんなものでもやらせてくれた父でしたから、ある意味花嫁修行の一貫としてだったのかもしれません。母の時代は、結婚退職し専業主婦が普通でしたが、私の時代は結婚に関わらず女性も働くのが普通になった、というだけの事なのですが。
さて、結婚して暫くしてから、義父が、庭の梅が沢山採れるようになった、と、梅酒と梅干しを作り始めました。子どもの頃、祖母と母が作っていましたが、梅干しは専業主婦でないと難しいです。義父、すごいなぁと感心しました。
ところが、義父は梅酒は飲みません。義父の梅酒は甘さ控えめで美味しくて、私は、飲み終わると空き瓶と交換。「僕作る人、わたし頂く人」であります。
それが今年、梅が豊作で作りきれない、と、義父が青梅を沢山持ってきました。もう手のかかる子どももいないし、義父に返していない空き瓶があるし、ヨシ!と、今年初めて梅酒を作ってみました。下拵えをして、あとはリキュールを入れればよいだけ、と、紙パックを開けてみたら、なんと、ブランデーがブレンドされたものでした。透明から琥珀色に変わっていく楽しみは無くなりましたが、図らずもワンランク上の梅酒となった事に苦笑い。只今瓶の中の梅子ちゃんにはしわしわのお婆ちゃんになるまで、ゆっくり眠って夢を見てもらっています。
一日中子ども達を早く早くと急き立てていた私が、『待つ』楽しみを与えられたんだなぁ、と、なんだか不思議な気がしています。