「歩」から「と金」へ
先日、亡き父が大好きだったお蕎麦屋さんに、結婚後初めて行きました。 実家から道路が空いていれば1時間程だったでしょうか。もしかしたら、年頃の娘と道中にいろんな話ができるから、という父としての目論みがあったかもしれません。
私は、父が亡くなって何年かは、父とよく行ったお店などは辛くて行く事ができなかったのです。そうこうするうち結婚しましたから、三十数年ぶりという事になったわけです。
お墓参りの帰りに寄ってみようとなったそのお蕎麦屋さんは、綺麗なお店にリニューアルされていました。それでもお店の調度品などに当時の面影があり、出てきたお蕎麦は当時のままのお味でした。
父と、高校卒業後の進路の話をよくしたな、と思いながらお蕎麦をすすりました。父と娘の望む進路は、何回話し合っても平行線でした。
結局、娘は親の反対を押し切り奨学金とアルバイトで学費を捻出して看護学校へ進み、親不孝なまま父と今生の別れをする事となりました。
お墓参りの日の朝、恩師から看護学校が閉校する事を知らされました。大変優秀な専門家を沢山育てた学校ではありましたが、大学のニーズが高まる今の日本には合わなくなったからで、時代の波には逆らえない事を実感しました。卒業後暫く経ってから、恩師が「私はあなた方を手塩にかけて育てた感があったが、同じ事を教えても、大学教育ではその手ごたえを感じられなかった」と仰いました。
私は恩師に、将棋なら「歩」ではなく、学校を卒業すればすぐ「と金」になれる教育をして頂きました。それなのに、成長する事なく結婚退職してしまいました。
何十年も変わらぬお蕎麦の味に、私はちゃんと「歩」から成長しないとならないなぁ、と感じました。
時代やニーズに合わせながらも変えてはいけないものも守っていかねばなりません。我が寺も、お寺を何年も離れていた人が帰ってきた時、ちゃんと阿弥陀さまのお育てを感じてくださる場所にしないといけないなあと思っています。
結婚当初は前しか見ていなくて「歩」でしたが、これからは「と金」のように後ろを振り返る余裕も持たねばなりませんね。