8050よろこんで
50、60よろこんで、というのは某保険会社のテレビCMですが、仏事ごとは「80、50よろこんで」で行きませんか?
少し前のある門徒さんのご法事の事です。80歳になりたての門徒さんが、今回の法事から、仕切りを長男にやらせようと思う、と仰いました。仏事の引き継ぎです。日程やご持参頂くものなど、50代の長男夫妻が仕切られておりました。そして、これからは長男様宅へも教念寺新報を送って欲しいと仰いました。
世の中でいう8050問題は、高齢者が中高年になった「子ども」を支える社会問題ですが、お寺においても別の意味の8050問題があります。仏事は年寄りの係と思っている中高年世代が多い事です。これもまた、核家族化によるものでありましょうし、確かに現役世代がゆっくりお寺参りなど、とてもできないのはわかります。しかしながら、仕事をリタイアしてからでは遅い事もあるのです。
今年は暖かいとはいっても、今、確実に秋から冬へと季節が移り変わる時です。「私」を季節で喩えたら、今はどの季節になりますか?よく人の一生も四季に喩えられますね。老年期を冬と思う方が多いように思います。
私は青春を迎えるまで、両親に暖かく見守られている幼い頃が冬だと思っています。幹と枝だけの木々はドキドキしながら春に芽吹く準備をしています。土の中にも沢山の希望が蠢いています。そうして青春時代という春を迎えます。働き盛りは朱夏でしょう。真夏の太陽の下で仕事に汗をかき、木々なら枝葉をぐんぐん伸ばします。
暑い夏のあとには秋の実りの時期を迎えます。稲穂はたわわに実り、木々は美味しい果実を実らせ、紅葉は人々の目を楽しませ、落ちる葉は土に栄養を与えます。
真宗門徒として、実りの秋を「おみのりの秋」にしていきませんか?
人生を秋で終わりにするのです。稲穂や果実を実らせる如く仏法に出遭い、子や孫の世代の為に仏法の葉を落とすのです。
豊かな秋を味わうには、働き盛りの夏のうちから考えておかねばなりません。
恥ずかしながら私自身は、まだまだ豊かな秋にはなれそうにありません。こんな私だからこそ、一緒に豊かな秋になる方「只今募集中」であります。