カメラを構えた先に
ここ何年かで、お寺を始めた頃からご縁のある方々が、私より一足先にお浄土に還られる事が続いています。
お通夜やお葬儀は、悲しみの中でも勢いで通過していきます。ですが、小さな頃から可愛がってくれた伯父伯母達などの法事が近づくと、子どもの頃を懐かしく思い返すように、門徒さんの場合もご法事の度に今までの思い出がよみがえります。
余談ですが、『よみがえる』は黄泉の国から帰ってくる事からだと聞いたことがあります。浄土真宗では暗い暗い黄泉の国へは行きません。光溢れた明るいお浄土に還るので安心ですね!
私が門徒さんを思い出す時は、やはりお寺での法要や法座の時が多いのです。法座の時いつもここに座ってらしたな、とか、おはぎやお斎を一緒に作った、とか。そして何より、法要などの時、カメラを向けた先に、その人を探している自分がいるという時です。
〇〇さんスマイルがもう見られないんだと思った時やいつもこの席で熱心にお聴聞されていたな、と思った時特に、胸が熱くなる瞬間があります。
私は、元々カメラが苦手でしたが、子どもが産まれた事で、いろいろな瞬間を写真に収めたくて撮りだしました。
オートフォーカスのカメラになってもフィルムの頃は相当の失敗を重ねました。デジカメも、最初の頃はここぞという瞬間が間に合わなかったものが、だんだんと性能がよくなりシャッターチャンスを逃さないものが出てきました。そのうち、携帯電話で写真が撮れるようになり、そのガラケーがスマホになり、しかも、写真がよく撮れるものが出てきて、だんだんとカメラからスマホ写真が主流になってきました。
カメラを向けた時、私だと皆さん緊張せず、ありのままの笑顔を向けてくださるのでしょうね。私のスマホには、沢山の門徒さんの笑顔が、アルバムなら何十冊分も収まっています。
子どもが小さな頃スマホ出現でしたら、子ども達の写真も沢山撮って、収拾つかなくなるところでした(笑)。
法要時、カメラを向けた先の門徒さんを無意識に探す時、あぁ、そうか、あの方が今、お浄土から私に喚びかけてくださっているのか、と思うのです。だから胸や目頭が熱くなるのでしょうね。