罹(かか)る縁 罹らぬ縁
コロナ禍で中止されていた築地本願寺での盆踊りが、三年ぶりに開催されました。規模を縮小したり、チケット制にしたりと、規制のある中での開催でした。
私は独身時代は仕事が忙しく、結婚してからはうちのお盆法要頃に築地本願寺盆踊りの為に、残念ながらまだ参加したことがありません。現役を引退したら(というのはいつの事でしょうか⁉︎)行ってみたいお祭りや花火大会が他にもいくつかありますが、皆、中止になっておりました。今年は「コロナ感染者の状況を見ながら」という一言付きでの開催となっているところが多いようです。
お祭りに行く際はその日に行くか行かぬか決めればよいのですが、お祭りの開催側は、実はその何ヶ月も前から諸々の準備に取り掛からねばなりません。その事を考えた時に、開催の決定も、でありますが、コロナの中で準備を整えるのは大変な事であろうと思います。それだけにまた、開催の歓びはひとしおの事でしょう。
当院においても、各法要のやり方を変えたり、規模の縮小をしながらです。
しかも感染者増の為に今回のお盆法要は急遽、日にちを変更し、内容も変更する事となりました。
先日友人が、方々の神社やお寺で茅の輪くぐりをしたり、疫病退散祈願をお願いしてきたのにコロナに罹ってしまったそうです。これからどうしたらいいだろう、と相談されました。
罹った株のコロナには罹らないけれど、他のものには罹るから、今まで同様に消毒や密を避けるなどの感染対策をしようよ、と答えました。
コロナに罹る事は罪な事ではありません。罹らないようにという対策は必要ですが、それでも罹ってしまったら、まずは適切な治療を受ける事と感染が拡がらないようにする事です。
私は阿弥陀様に、コロナや病気に罹らぬように、とお願いした事は一度もないの、と申しましたら大変驚いていました。
病気といった生命の危機がさし迫った時にこそ、表向きの信仰ではなく、内に秘めた信仰の神髄が露わになるなぁと思っています。
コロナも他の病気も、罹る縁があれば罹るし、縁がなければ罹らない、ただそれだけの事です。