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お婆ちゃんと孫娘

 母は2回目のくも膜下出血オペ後、ちょうど30年になりました。くも膜下オペの2年後には乳がんのオペもして、生かされているのが不思議な人です。
 大病を機に、住み慣れた土地を離れて私の近くには来ましたが、その後も同居の弟の転職や結婚などの度に居を移し、今また我が家のすぐ近くに来て10年位は経ったでしょうか。母の荷物は引っ越す度にこじんまりとなってきました。今の家に来る時にかなり処分しましたので、偶然にもモノの終活になりました。
 実際、今の母の体力では終活に向けてのモノの整理は難しいです。そんな母を見ながら、私自身の終活も体力があるうちでないとならないんだな、と、肝に銘じています。
 今の家に引っ越す時に、私は鬼になって着物や食器類を処分しました。自分のものが捨てられていく様を、母はベソをかいて見守っていました。
 その中で、私の七つのお祝いの帯が出てきて作業の手が止まりました。もしかしたら孫娘に締めてあげたかったのかもしれません(男の子しか産めなくてごめんなさい)。曾孫にとってあるのかしら(お願いだからそんな事まで考えないでー)。
 「お母さん、この帯処分していいかな?」と訊くと、母がバッと勢いよく飛んできて、その帯をぎゅっと抱きしめました。
 「これはダメ、捨てちゃダメ」と言います。
 「だって、誰が締めるのよー(泣)」と私。
 「私が死んだら棺に入れてちょうだい!」と母。というわけで、母の桐の抽斗の一番良いところにしまいました。
 その帯は、元々は母を可愛がってくれたお婆ちゃまの帯だったのを母達姉妹が締め、仕立て直して私が締めたものだそうです。母の本当の祖母は亡くなり、後添いとなったお婆ちゃまでしたが、血が繋がっていなくとも孫娘達をたいそう可愛がってくれたそうです。
 いつの時代も母親は仕事に忙しく、特に文化的なものは祖母から孫娘に伝わるものなのでしょうか。母はそのお婆ちゃまがいなかったら日本舞踊に出逢う事はなかったでしょう。私もまた、同居の祖母がいなかったならお念仏には出遭わなかったな、と、報恩講が近づく度に祖母を思い返しています。

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