迷惑って何?
とてもしっかり者の門徒さんが、いつもお嬢さんに叱られるのだと話してくださいました。私もね、母の事叱ってばかりいますよ、と笑いました。
ですが最近は、母が死にたいと言っても叱らなくなりました。母が2回目のくも膜下出血のオペ後、近くに引っ越してきてから、事あるごとに死にたいと言い出しました。それは死にたいほど辛い何かがあるという事なんです。
今、母が死にたいと言うと、私はきまって「そうだね。オペの時お腹にいた子がもう30歳になったから、お母さん30年以上も同じ事言ってるんだね、アハハ」と笑いながら答えます。すると母もアハハ、と声を立てて笑います。
母は月に一回、薬を貰いに行く主治医に「こんな年まで生きてしまって、娘に迷惑かけているから早く死にたいの」と言います。主治医は毎回同じ話をそうかそうかと丁寧に聞いてくださり「娘さんが淋しがるから、もう少し生きていてあげてよ」と仰ります。お薬を出すだけでなく、母の心のケアもしてくださるわけです。
病院への行きの車は護送さながらに乗るのですが、帰りの車の母は陽気にお喋りをしてドライブ気分で帰ってきます。
とりわけ介護サービスを受けるようになった頃から、母は迷惑をかけたくないと言うようになりました。ですがサービスを早めに受け出した事で、介護度が10年間進んでいないと言ってもいいと思うのです。
「迷惑」の「迷」は行くべき道に迷う事で、「惑」は行き場がなくなり戸惑う事です。迷い戸惑っているのは一体誰なんだろう⁉︎と考えてしまいました。
仏さまのみ教えに出遇い、迷い戸惑う自分に気づき、一人では生きられない事に気づけば、自然と支え合って生きていかれます。迷惑をかけるとか、かけられるとかではなくて、今日という日を精一杯、出来る事をやれば、豊かな人生になっていくと思うのです。
さて、母に叱られなくなった私ですが、その分心配をかけているようです。毎日「身体に気をつけるんだよ」と言われます。私が母に叱られていた頃、私は母の身体の心配なんかしませんでしたよね。