生&老病死

 私が子どもの頃、「眼鏡は顔の一部〜です〜」というテレビCMがありました。コロナ禍、マスクは顔の一部になりましたね。リモート会議が始まった頃、久しぶりにお化粧したー、とか言っていましたが、会議なども少しずつ対面式になってきていますし、少人数の友人と会う時間も少しずつ増えてきました。
 電車に乗りますと、塾の広告の他に目に入るものは、毛を増やせ、毛を抜け、痩せろ、肌を白くしろ、皺を取れ、マスクのうちに歯を綺麗にしろ、目をパッチリ二重にしろ、睫毛を長くしろ、白髪はダメだ、流行の服を買え、お金ないなら借りろ…などなど。
 わぁ、そんなに責め立てないでよー、外見なんてテキトーでいいよー、とゲンナリしてしまうのです。
 やはり世の中は、老いより若い方がよく、病気より健康がよいのです。だから当然、生まれる事はよいことで、死ぬる事は悪いこと。生きていれば病気にもなるし、老いてもいくのに、それはマイナスな事として向き合わないまま時間がどんどん過ぎていきます。
 最近久しぶりに会う友人達との話題は、育児から介護や葬儀の話題になっています。
 そんな中で、ある友人が、「生老病死」を「四苦」と言われるけれど、生まれる事はおめでたい事なのに、なぜ『苦』なのかときいてきました。
 私はお寺の管理人だからねー、と少し逃げ道を作りつつ、まず「生」と「老病死」に分けてから考えてみてもいいかもね、と話しました。
 覚えてないけれど、生まれる時はきっと自分も苦しかったし、母親の事も苦しめたしね。私は出産時に、子どもに一緒にガンバローね、と声かけながら産んで、生まれた子には「これから君には思い通りにならない事ばかりが待ってるよ。それなのに生まれてきてくれて有難う」と言ったなぁと思い出していました。ですから、友人には『苦』って「思い通りにならない」って意味なんじゃないかなぁ、と言いました。
 ですが、思い通りにならないとわかっていても、次にまた友人に会う時には、いつもよりも少しおめかしをして、お化粧なんかもして行く『私』がここに居りますね。

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