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なぜ老いるのか

 子どもの頃、私は動物園に行くのが大好きでした。ある時、猿山で、母猿の毛に子猿がしがみつき、母猿が移動する姿にすごいなーと思いました。
 私の弟は双子です。母は、おっぱいをあげる時に1人ずつではなく、2人一緒に片手で抱いてあげていましたから、一般的なお母さんの授乳の姿とはかなりかけ離れておりました。人間の赤ちゃんも、自分でひょいとしがみつければ、お母さんはおっぱいあげるのも楽なのになぁと思ったものでした。
 人間以外の生き物は皆、産卵や子育てを終えるといのちが尽きます。群れで生きる動物達は、弱ってくればリーダーの座から身を引きます。弱った動物は他の動植物のいのちの糧になります。愛玩動物ではない、自然界においての動物には、老いはないというわけです。
 では、なぜ人間という動物には老いがあるのでしょう。
 それは、進化していく上で、老いた者がいた方がよかったからなのだそうです。
 600万年前、猿と人に分かれた時、人には長い体毛が無くなりましたから、赤ちゃんが自分でしがみつけなくなりました。ですから、赤ちゃんを抱っこしてお世話をする、経験豊かな役割の者がいたら子育てが楽ちんです。
 また、人は猿よりコミュニティが広いですから、当然争い事も増えます。そんな時、それをたしなめる役割の人がいたら平和になります。長く生きた者は、果物や木の実の成る場所や時期、獲物の獲り方を若い世代に教える役割もありました。
 人間は、次の世代の育成に時間がかかります。それにはやはり、年長者の知識と経験と知恵を伝えていかねばなりません。
 仏さまの事もその中のひとつです。子や孫の世代に私が伝えていく事のひとつです。難しい事は必要ないと思います。祖父母や両親が、おじやおばが、手を合わせる姿を見せるだけでいいのです。その姿を見て育てば、その子や若者もまた、手を合わせるようになるから、なのです。手を合わせる姿を見せなければ、それを知らないまま育ってしまいます。
 仏さまに手を合わせる事ができる唯一のサルは、サル目ヒト科ヒト属の人間だけなのですから。

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