旅を終えた友人と
このところ、母とよく聴くのは『上を向いて歩こう』や、『見上げてごらん夜の星を』です。YouTubeの配信をテレビに繋げますと、在りし日の坂本九さんが歌います。
母としみじみ聴くようになり、母が好きな曲は皆、メロディもですが歌詞がいいのだと気付きました。この二曲は永六輔さんの作詞ですね。永さんは浄土真宗のお寺の次男坊さんだったと聞いてます。
少し前に、私の大切な友人が亡くなりました。お浄土のお池の華がまた一つ増えたのだ、と思っても、時々涙が溢れ出てきます。すぐ近くに居ながら、大切な事を何も話さないままお別れになってしまいました。辛くなると、亡くなった友人を知る友だちに心の叫びを聞いてもらいます。
そして、ふと永さんの言葉を思い出しました。「人の死は一度だけではありません。最初の死は、医学的に死亡診断書を書かれた時。でも、亡くなった人を覚えている人がいる限りその人の心の中で生き続けている。最後の死は亡くなった人を覚えている人が誰もいなくなった時。でも、人は亡くなった人のことを忘れがちだから、時々誰かと故人の思い出話をしたり、街角で出会ったりしましょう」
浄土真宗は亡くなった人の追善供養はしませんが、永さんの言葉の中になぜ法事をするかを見出すと共に、悲しくて仕方ない時は亡くなった友人を知る友だちと語らうのは自然の事なのだと示された気がしました。
いつだったか、旅の話の中で、永さんが一番思い出に残る旅を訊かれた時に「僕はね、人生の半分は旅をしていたけど、一番はね、旅を終えて家に帰る帰り道が何よりよかったんだよ」というような事を仰っていました。
私たちの人生は、よく旅に喩えられますが、たださ迷い歩くのは放浪ですし、帰り道がわからなくなるのは徘徊です。帰るところが定まっているから、安心して旅ができるのです。阿弥陀さまは、私たちの帰るところは「お浄土だよ、わたしのところだよ」とお示しくださいました。友人は私より先にそのお浄土に帰りました。仏さまの話をしないままお別れしてしまった事を悔やみましたが、これからはその友人にお浄土の事を教えてもらおうと思います。