私の宝物


 十年一昔と言われますが、最近は時代が駆け足になったようで、三年で一昔という気がする今日この頃です。
 と、なると、開教三十年という事は凄く凄く時代が変わってきたはずなんですが、何も変わってないような気がしてしまいます。
 最寄駅やお寺周辺の風景を見れば、確かにこの三十年でかなり開発が進みました。何年かぶりにお参りなさった方が、目印にしていたものが変わってしまって道に迷ったりなさります。
 末っ子がもうすぐ二十歳になるわけですから、私自身も二十年前と同じなわけはないのですが、何も変わらない気がしてしまうのです。中身が成長していないと言う事かな、と、残念な気分になりますが。
 思い返せば結婚してすぐの頃、私は『坊守』と呼ばれるのが嫌でした。イモリやヤモリの仲間みたいで嫌だなぁ、といいましたら、住職にお寺である『坊』を守るから坊守なんだよ、と、笑われました。
 ある先生が「門徒さんは通院患者です。寺の者は寺に入院してる患者。門徒さんより重症患者です」と仰いました。その言葉を聞いた時に、私は『坊守』と呼ばれるのが嫌でなくなるようにお育て頂いているのだ、と気付かされたのです。沢山の門徒さんから生活の知恵を与えられ、おみのりの元に育まれてきたのです。
 跳ねっ返り娘だったからでしょう、母より歳上のある方が、私がお寺に行くと知った時「あんたには務まらんよ、門徒さん全員を姑と思わねばならないのだから」と仰いました。私は「そんなに沢山のお母さんがいるなら、私、何の心配もしなくていいね」と言いましたら、その方は本当に開いた口が塞がらない顔をなさっていました。
 実際その通りで、法要の時の準備、おはぎ作りやお斎作り、生け花や掃除や、盆栽の手入れや茶渋取りまで、役員さんや婦人会の方々が支えてくださっています。きっとこの坊守じゃ心配、と思っての事も多々あったのだと思います。
 結婚した頃は祖父母世代だった門徒さん方は、今は親世代であったり兄弟姉妹世代となってきました。確かに移り変わってはいるのですが、変わらない何かがあるのです。
 それはきっと、私がずっと支えられてきているという事です。それは私の大切な大切な宝物ですね。

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