頑張っても報われない社会で
今年の東京大学入学式でのジェンダー研究(女性学)の第一人者、同大名誉教授の上野千鶴子さんの祝辞が話題になっています。少し抜粋します。
「あなたたちは激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることができました。その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。頑張ったら報われるとあなた方が思えることそのものが、あなた方の努力の成果ではなく、環境のおかげだったことを忘れないようにしてください。世の中には、頑張っても報われない人、頑張ろうにも頑張れない人、頑張りすぎて心と体をこわした人たちがいます。頑張る前から、頑張る意欲をくじかれる人たちもいます。あなたたちの頑張りを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれない人々を貶めるためにではなく、そういう人々を助けるために使ってください」と、頑張っても報われない社会が待っている事、その社会に根付く構造的差別に目を向けるよう求めました。そして今ここに晴れて在籍できることは自分の努力の成果だから当たり前だという事ではないのだ、と諭しました。
私の父は、やりたい習い事は全部させてくれましたが、女に学問はいらないと考えていました。短大でも出て結婚すれば良いと言っていて、専門職の資格を取りたい私は、高校生の時に一番父と衝突しました。当時はある種の性差別であると感じていましたが、そこには両親の娘を思いやる気持ちがあったのだと思います。差別ではない性差を尊びながら子育てしてくれたのだと思います。
何より、仏様に手を合わせる環境の中で育ててくれた事に、今更ながら感謝の気持ちしかありません。両親から見返りを期待しない愛に包まれて育まれる事も、仏様に手を合わせる環境の中に育った事も、決して当たり前ではないのだと大人になってからわかりました。
東大の上野先生の祝辞は、新入生のみならず、新社会人にも、古くなった社会人にも向けられた言葉に思えます。頑張っても報われない社会で生き抜くには、手を合わせる場所が必要だと感じています。